太宰治の小説 「津軽」



 小説「津軽」は太宰治が自分のふるさとである津軽地方を執筆取材した小説で彼の代表作ともいえる作品です。小説では戦時中にもかかわらず津軽の風土や個性的な人達が豊かに描かれており、小説「津軽」に登場する場所を巡って津軽路を旅する人が後を絶ちません。本ページでは小説「津軽」に登場する場所を実際に巡り太宰が見て感じた風景を体験してみました。

当時の時代背景
 太宰が小説を書くために津軽を訪れたのが昭和19年の5月から6月にかけて。ちょうど第二次世界大戦まっただ中で人々は大本営が発表する連戦連勝の報に喜びながらも物資不足で次第に苦しくなっていく生活環境に耐え忍んでいました。世界情勢に目を向けるとヨーロッパ戦線では連合軍によるノルマンディー上陸作戦が開始され、太平洋戦線ではアメリカ軍が大量に竣工させた最新鋭空母群により日本軍は占領した欧米諸国の植民地を次々と奪還されていきます。またB29による空襲が開始されたのもちょうどこの時期です。なお太宰はこの約1年後の昭和20年7月に疎開の為に家族と一緒に再び津軽を訪れることとなります。

行程
 太宰が津軽を歩いた行程は正確には

太宰治 小説「津軽」東京−蟹田−三厩−竜飛−蟹田−金木(生家)−五所川原、木造経由、深浦−鯵ヶ沢経由、五所川原、小泊−蟹田− 東京

となっており、本人が小説にも書いているとおり「まるで振り子時計」のように行ったり来たりをしていますが、これは当時は道路事情が現在ほど良くなく大きく迂回せざるを得ない場合が多々あった為。
 例えば現在は竜飛から小泊まで車で50分ほどですが、当時は竜飛〜小泊間は道路が無かった為、いったん五所川原地区まで戻る必要がありました。
 実際に太宰が巡った通りに行くと大幅に時間をロスしてしまうので、旅をする際は下記のように津軽半島を反時計回りに巡るのが一番効率的となります。

新青森駅蟹田三厩竜飛−小泊−十三湖深浦−五所川原−金木−新青森駅

 なお上記の案なら丸一日かけて巡ることができますが、強行軍となりますので途中深浦あたりで一泊した方がゆとりをもって旅を楽しむことができるでしょう。 


津軽に登場する主要地一覧


青森市
現在の青森市 太宰が旧制青森中学在学中の4年間すごした町。東京から汽車で青森に来た際最初に降り立った町で小説では「度々の大火で家屋が貧弱になり旅人にはどこが町の中心か見当がつかない、あまり感じの良い町ではないだろう」と記しており、青森市はこの約1年後に米軍の空襲により焼け野原となります。現在は青森県の行政、観光の中心都市となっています。
蟹田
蟹田の観覧山 小説では中学時代からの友人N君を訪ねて立ち寄る。太宰は事前にN君に「なにも気を遣ってくれるな。でもリンゴ酒(戦時中なので日本酒やビールは貴重品となっていた)と蟹だけは。」と手紙を書いており、蟹田で名物の蟹づくしのもてなしを受けます(蟹田の名前の由来は「蟹」がよく採れることからきている)。また次の日は観覧山に登り花見を楽しんでおり観覧山から眺めた蟹田の海を「温和で水の色も淡く磯の香りもほのかな雪の溶け込んだ海」と称している。また「蟹田ってのは風の町だね」とも記しています。
三厩
義経寺 竜飛に向かう道中立ち寄り、義経伝説が残る義経寺に行く。小説では長い石段を登りながら「よそから流れてきた不良青年二人が義経と弁慶の名を語ったんじゃないか」などと会話しているシーンが描かれており、義経伝説には懐疑的な立場をとっています。
竜飛
昔の竜飛の光景(絵画) 小説では「本州の極地である。この部落をすぎて道は無い。あとは海に転げ落ちるばかりだ。ここは本州の袋路地だ」と記されており、また辺りの風景はなんだか異様に凄くなってきたとも記しています。また竜飛で宿泊した宿は集落の異様で凄い光景とは相反し小綺麗であり、太宰達は大いに酔っぱらいます。なおこの宿は「奥谷旅館」といい現在は観光案内所「龍飛館」として一般公開されています。

小泊
小泊漁港 太宰が幼少時にお世話になった「タケ」が住んでいる港町。小説は旅の目的のひとつでもあったタケと小泊で出会った場面で終了しています。なお現在の小泊は小さな港町ですが、小泊半島の権現岬まで遊歩道が整備されています。また「小説津軽の像記念館」があり、ここではタケをはじめとした小説津軽に登場した人達の写真などが展示されており。太宰ファンにはお勧めのスポットとなっています。 MAP

深浦
千畳敷海岸 五能線で千畳敷海岸などを眺めながら、国宝に指定されている円覚寺の薬師堂にお参りしています。小説では「この港町も千葉の海岸あたりの漁村によく見受けられるような、けっして出しゃばらろうとせぬつつましい温和な表情、悪く言えばお利口なちゃっかりした表情をして、旅人を無言で送迎している」、「北津軽は生煮えの野菜みたいだが、ここはもう透明に煮え切っている」などと記しています。
 旅情にかられたのか郵便局で葉書を買い妻や子供が待つ東京の留守宅にたよりをしたためており、また泊まった宿の亭主が偶然にも兄の同級生であり翌日もてなしをうけてます。

五所川原
立佞武多 小説では「良く言えば活気のある町であり、悪く言えば騒がしい町。農村の匂いはなく都會特有の孤独の戦慄が幽かに忍びついている。仮に東京にたとえると金木は小石川、五所川原は浅草といったようなところでもあろうか」と記している。吉幾三さんが生まれ育った町で「俺ら東京でいぐだ」のモデルになった町ともいわれています。雄壮な立佞武多が有名でまつりの光景は圧巻。MAP

金木
斜陽館 小説では「これといふ特徴もないが、どこやら都會ふうにちょっと氣気取った町である」と称されている太宰が生まれた町。津軽を旅する際に立ち寄り父母の墓参りをしたり姪っ子達と周辺を散策している。現在は五所川原市と合併しており斜陽館芦野公園といった太宰ゆかりのスポットが名所となっています。

太宰とタケの関係


 タケとは若い頃太宰の実家である津島家で女中として働いていた女性。太宰が津軽地方を旅した目的のひとつにこのタケと出会うことがあり、物語の最後にしか登場しませんがインパクトの大きさから準主役級の立ち位置となっています。
 タケは幼少期の太宰の面倒を見ており太宰にとっては実の母のような存在の女性。太宰が小説「津軽」を執筆したのが34才前後で、その時に「タケとは30年近く会ってない」と記しているので太宰がタケと最後にあったのは4〜5才の頃。またタケは当時20代前半でした。タケは初老のイメージが強いですが幼い太宰と別れた頃は人生で一番光り輝く20代前半だったのです。このような小説には記されていない二人の人間模様を頭の片隅において「津軽」を読むと最後に受ける感動もひとしおだと思います。

小説「津軽」について


 太宰治の代表作「津軽」は太宰が自分探しの旅を記した津軽風土記。太宰は津軽で生まれ育ったとはいえ、交通事情が不便だった昔は訪れたことのある町や地域も限られていました。そこで太宰は自分を見つめ直す為に故郷津軽を訪れ、旧友達の案内のもと、まだ見ぬ津軽の地を旅し旅のもう一つの目的でもある30年来会ってなかったタケと出会うのです
 なお小説「津軽」では所々に松尾芭蕉が引き合いに出されており、江戸時代に東北地方を旅した松尾芭蕉と今回津軽半島を旅する自分とを少なからず照らし合わせているようにも感じます。