弘前公園
弘前公園は
青森県弘前市にある総面積49.2ヘクタールの大規模な公園です。園内は桜の木をはじめとした様々な草木が多数植えられ野鳥も多く訪れる市民憩いの場となっています。特に桜が咲く春には多くの野鳥が見られ、鳥のさえずりやコゲラが木をつつく音などが公園内に響き渡ります。また
公園内にある弘前城は初代津軽藩主、津軽為信公が1603年に計画し1616年に完成したと伝えられ、現在は古都弘前市のシンボルとなっています。
なお弘前公園へのアクセスや駐車場については別途「
弘前城へのアクセス」及び「
弘前城の駐車場」のページをご参照下さい。
下乗橋は二ノ丸から本丸へ続く橋で公園内でもっとも有名な場所の1つ。下乗橋や橋のたもとから眺める
弘前城の天守は誰でも一度はテレビや雑誌で見たことがある光景だと思います。なお弘前城の天守は2015年に
石垣補修の為本丸方面へ曳屋されており、おなじみの光景は見ることができなくなっています。
天守と下乗橋
弘前城の天守を下乗橋から見たところ。下乗橋は二の丸から本丸に渡る橋で、その昔、本丸に立ち入る藩士がここで馬を下りて入城することから名付けられたと言われています。
下乗橋の光景
弘前城の下乗橋。ここからの本丸天守の眺めはパンフレットなどでもおなじみの光景で、
桜の時期は毎年200万人以上もの観光客がこの橋を渡り、桜と天守の眺めを楽しみます。なお下乗橋から先は有料区間となっています。
下乗橋と天守。左側に見える建物が弘前城の天守。下乗橋付近は弘前城でもっとも有名な観光スポット。この日は散った桜の花びらで内堀に花筏が浮かんでいました。
天守から見た下乗橋
弘前城の天守閣から見た下乗橋。江戸時代は許された人以外は下馬して渡らなければならなかった下乗橋を、400年ほと時が流れた現在は城の要である天守閣から一般人が眺めている。このような光景を当時の津軽の殿様が見たらどう感じるでしょうか?なお2015年以降は曳屋工事の為、天守が移動しておりこの光景は見ることができません。
2015年の光景
平成の大改修で水が抜かれた内濠から見上げた下乗橋の光景。この光景は2015年の桜まつりの時期のみ見ることができたもので、今後100年は見ることができないと言われています(この先100年は石垣の改修工事は行われないと想定される為)。
上の写真同様2015年内濠の水が抜かれ一般開放されている時に下乗橋から撮影した光景。まだ本丸の曳屋も行われておらず、おそらく現在生きている人は今後誰一人として見ることはできないといわれている貴重な光景です。
弘前公園の光景
東北最大の観光地といっても過言ではない弘前公園。桜が満開となるゴールデンウィーク中に訪れる観光客は200万人を越し、1日に40万人もの観光客が訪れる日もあります。また桜の時期以外にも四季を通して観光イベントが行われています。光景は
市役所屋上からのもので外濠には
花筏が浮かんでいます。
追手門
弘前城公園南側の玄関口となる追手門口。道は外部からの敵を防ぐために直角に曲がっています。一般的には城の正面城門を大手門と言いますが弘前城では追手門と呼ばれています。
南内門
弘前城の南内門。この門をくぐると二の丸に入ります。門の向こう側には大きな桜の木があり、観光客達は足を止め見上げていました。なお本丸は向かって右側の方角になります。
春陽橋
弘前城の西堀に架かっている春陽橋。春陽橋から眺めた西堀の光景も数あるビュースポットのひとつとして有名。西堀の周囲には桜並木に沿って遊歩道が整備され春は
桜のトンネルができあがります。
春陽橋と西堀の鯉と桜。城のお堀には当然つきものの鯉。観光客達が橋の上で桜に魅入っているその下を、悠然と泳いでいます。桜と鯉と水に写った朱色の橋は何故か風情を感じる光景です。
玉鹿石
弘前城公園にある「玉鹿石(ぎょっかせき)」青森県の天然記念物に指定されています。石の産地は
太宰治生誕の地金木町(現在は五所川原市と合併)で弘前城から40kmほど北に行った所となります。
弘前公園の本丸広場とはその名のとおり弘前城の本丸があった場所です。残されている絵巻物によると弘前城の本丸は大奥や座敷、能舞台があったいわば御殿作りの広大な屋敷となっており、私達が一般的に連想する天守閣を持った大きな城とは異なるものでした(本丸=天守閣という作りは戦国時代以降の近世にはいってから主流となった様式です)。この本丸御殿跡、現在は広場となっており弘前公園内でもっとも高いところにある事からビュースポットとして知られています。また
弘前さくらまつり時にはメイン広場となり、コザをひろげて宴会をひらく団体客に覆い尽くされてしまいます。この他、北の郭は本丸広場の北側にあり、トイレや武徳殿と呼ばれる休憩所兼物産販売所があります。
天守から見た本丸広場
弘前城の
天守からみた本丸広場。天守閣といえば本丸というイメージが浮かぶと思いますが、弘前城の天守は櫓の天守閣であって本丸は御殿作りの屋敷でした(戦国時代から江戸時代初期の頃はこれが当たり前の様式でした)。
本丸広場からみた岩木山
弘前城の本丸広場西側から眺めた津軽の霊峰
岩木山。岩木山は地元では空が青い日が一番映えて見えると言われています。ご覧のように本丸広場は高台になっていて、弘前市内を見渡すことができる眺望スポットとなっています。
本丸広場
弘前城本丸広場の光景。比較的低木の木々が目立ちます。この日広場内には観光客の他、地元の学校の生徒達も訪れていました。また
さくらまつり期間中だった為、昨晩多くの方が宴会をひらいていたのか周囲にはお酒の良い香りがただよっていました。
弘前城未申櫓跡
弘前城未申櫓跡。未申とは南西を意味し、江戸時代は五層の天守を持つ隅櫓が築かれていました。現在は展望所になっていますが、ちょうど正面に大きな木があり岩木山の光景を遮っています。近くにいた観光客は「こういう光景もいいんじゃない」と言っていました。
武徳殿休憩所
弘前城の北の郭にある武徳殿休憩所。武徳殿とはもともとは宮中で武芸や乗馬を観覧する際に使用された殿舎の一つですが、現在は改修され土産物店や喫茶店を備えた、休憩スペースとなっています。
弘前城の鷹丘橋。本丸から北の郭につながる橋。この周辺は庭木が奇麗に手入れされた庭園風になっており、訪れる観光客達の目を癒してくれる。
なお室町時代弘前城があった場所は鷹が多く生息しており「鷹岡」と呼ばれていました。弘前城も築城当時は「鷹岡城」と呼ばれていましたが、
落雷による火災を機に「弘前」と名前が改められました。