日本の観光地・宿>北海道の観光地・宿>札幌市 | |||
|
|||
サッポロビール園 札幌市のサッポロビール博物館。サッポロビール発祥の地にある日本に1箇所しかないビールの博物館。同じ敷地内にはサッポロビール園もあり、ビールを飲みながらジンギスカンを楽しめる。 |
イルミネーション サッポロビール園のイルミネーション。一番人気の名物は絞りたての生ビールとジンギスカンのゴールデンコンビ。他にも北海道産の食材で作る料理も人気がある。 |
||
園内の光景 サッポロビール園内の光景。精糖工場当時の蒸留釜やレンガの壁がそのまま残されている。この雰囲気と生ビール、ジンギスカンは不思議なくらいにマッチするのか週末は多くの人で賑わう。 |
サッポロビール博物館 サッポロビール園に隣接するサッポロビール博物館。サッポロビールの博物館は日本唯一で、日本ビール界の先頭を走ってきたサッポロビールの歴史を見ることができる。 |
||
日本におけるビール発祥の地「札幌」 札幌を開拓した中心的存在だったのが旧薩摩藩士達です。この為、札幌は「薩幌」などとも呼ばれていました。その薩摩藩士達の中には薩摩藩時代君主「島津斉彬」の命を受けヨーロッパで修学した人達も多数いました。そんな当時世界一流の知識を身につけた薩摩藩士の1人が村橋久成です。彼は戊辰戦争後、北海道開拓使のエリート官僚となり北の大地に渡ります。そして札幌で野生のホップを見つけ札幌に日本初となるビール工場を建設することを計画するのです。この日本初のビール工場は当初辺境の札幌ではなく東京や横浜に建設する意見が主流だったのですが、村橋久成はビール製造に適した北海道の気候や原材料の入手のしやすさなどを中央官僚に説き札幌の地に日本初のビール工場を作ることを認めさせます。この日本初のビール工場こそが後の「サッポロビール」です。 なおサッポロビールの立役者である村橋久成は当時の政府内における権力闘争と汚職に失望し日本初のビール工場が操業開始する前に職を辞しその後行方不明となります。最後に見つかったのは十年後の神戸郊外で、衰弱しきって倒れているところを巡回中の警察官に発見されます。その3日後息を引き取りますが、新聞の死亡広告で村橋久成の死を知った官僚達の衝撃は大きく、葬式には黒田清隆をはじめとした開拓使の元幹部のほとんどが参列しました。 当時村橋を発見した警察官はその姿を見て「顔は日焼けし衰弱しきっているが、不思議な気品と静かな迫力を感じ取った、とっさにこれはサムライであったに違いない」と述懐したそうです。 |
|||
|
|||