日本の観光地・宿>北海道の観光地・宿>札幌市 | |||
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定山渓温泉 定山渓温泉の光景。渓流沿いにいくつかの温泉ホテルが建ち並ぶ。どれも近代的な建物だったのが印象的だった。GWにはホテル間で渓流をまたぐように300匹ほどの鯉のぼりが揚げられ定山渓温泉の名物となっている。 |
定山渓温泉夜の光景。定山渓の温泉は豊平川の川底から湧いており、川から湯けむりが立ち登る様子は定山渓独特の光景。 |
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定山渓雪灯路 定山渓雪灯路は温泉街の中心部にある定山渓神社を中心に行われる灯籠まつり。毎年2月上旬に行われ、期間中湯煙の里は厳かなロウソクの灯りに包まれる。 |
定山渓のかっぱ 定山渓の温泉街を散策しているととにかく多くのかっぱを目にする。かっぱの種類形は様々で無邪気な子供のかっぱやくつろいでいるかっぱ、女神のようなかっぱなど色々。 |
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定山渓の温泉 定山渓には源泉がいくつも湧いており、湯量が豊富なことでも知られています。温泉郷にはホテルが19軒ほどあり源泉公園には足湯も整備されている。 |
紅葉 定山渓温泉はその名が示すように渓谷となっており、秋には見事な紅葉を見せてくれる。豊平川に架けられた橋やゴンドラからの眺めは訪れる人達の心を魅了してやまない。 |
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定山渓温泉にまつわる嘘本当話 行方不明となった美泉定山 定山渓温泉を見つけたとされる美泉定山についてはその死が病死、行方不明とバラバラで時期も合致しないという時期がありました(現在は1877年小樽市で死去したのが定説になっています)。これにはこんな裏話があるというのです。 現在定山渓温泉に湯治場を設け世に知らしめたのは美泉定山ということになっていますが、実は温泉自体は以前から知られており、湯治場や道路を整備したのは別の人達だといのです(名前はあえて伏せておきます)。その人達はしばらく温泉開発にいそしんでいましたが、経営が上手く行かず、美泉定山に「一代限り」の約束で経営権を譲ったというのです。その後美泉定山により定山渓温泉は世に知られることとなり大いに繁盛します。 やがて美泉定山は小樽で死去しますが、美泉定山が亡くなって困るのは美泉定山に仕え温泉郷を切り盛りしていた下人達です。なにせ経営権は美泉定山一代限りのものですから。そこで下人達は美泉定山の死後もよそには「美泉定山は人知れず行方不明になってしまった」といい通したというのです(注:温泉郷の経営権は何度か譲渡され現在の経営者と当時の下人とはまったく関係がありません)。真偽のほどは分かりませんが美泉定山にまつわる嘘本当話。ただ話の真偽がどうであれ、定山渓温泉を世に知らしめた第一人者は美泉定山であることに間違いはないようです。 北海道にも河童はいた 北海道はもともとアイヌの人達が暮らしていた土地なので本州にいるような妖怪の話はほとんどありません。ところが河童伝説だけは何故か北海道のあちらこちらに残されています。その代表的な所が定山渓です。時は定山渓の渓谷沿いに温泉街ができはじめ周囲の開発が進められていた明治時代。ある日工事をしていた若者が休憩時間中に川にはいって魚を取っていると突然転んで何者かに引きずり込まれるようにして深い淵に沈んでいきました。周りにいた仲間達は慌てて川に飛び込み若者をさがしたが結局見つかりませんでした。それから一年後。行方不明となった若者の父親が寝ていると夢の中に息子が出てきて「いきなりいなくなり申し訳ありません。実は私は河童と結婚し、今は妻と子供と幸せに暮らしているのでどうか心配しないで下さい」と言い姿を消しました。父親は夢の内容が妙に生々しかったことから妻と二人で「息子は河童の国で幸せにくらしているのだろう」と慰め合いました。この話が伝わり、若者が沈んだ淵を河童淵を名付けられました。現在定山渓温泉にはたくさんの河童の像が置かれてますがそれはこの河童伝説にまつわるものなのです。 |
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