白虎隊十九士の墓



白虎隊十九士の墓周辺 白虎隊十九士の墓は飯盛山の象徴ともいえる場所で幕末に若くして散っていった白虎隊士を偲び辺りにはローマ市から贈られた白虎隊の武士道を称える碑や、日本を訪れたドイツ人医師の白虎隊鎮魂碑等があります。
 また十九士の墓そのものは、鶴ヶ城を見下ろす飯盛山東側の山腹にあり、多くの観光客が線香を手向け絶えず香煙の香りがただよう神聖なスポットとなっており、毎年4月24日と9月24日にはこの墓前で慰霊祭も開催されています。

 前述してあるとおり十九士の墓は会津若松市を一望できる岡の上にあり、急な石段を登り切った先にありますが、スロープコンベアーを利用すると飯盛山入り口からすぐに着く事ができます。


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白虎隊 自刃の地


白虎隊 自刃の地 白虎隊自刃の地。飯盛山南側の一番奥まった所で会津若松市を一望できる丘の上にあります。周辺は墓地になっていますが、松平家や白虎隊に由来のある人の墓や記念碑が多く見られます。

飯盛山から見た鶴ヶ城


飯盛山から見た鶴ヶ城 白虎隊自刃の地から見た鶴ヶ城。白虎隊は城の周りの武家屋敷が燃える様を見て、城が落城したと勘違いし自刃しました。なお中央に見えるアンテナはテレビ局のもので鶴ヶ城の視界を遮ることから一時期論議をよんだが、現在の所撤去、移転の計画は無いそうです。

飯盛山から見た会津若松市  白虎隊自刃の地から見た会津若松市。飯盛山は会津若松市の東側に位置する小高い丘で、周囲を山々に囲まれた盆地である会津若松市を一望できる。

会津若松市 冬の光景


飯盛山 冬の光景  飯盛山から見た冬の会津若松市。飯盛山の白虎隊自刃の地周辺はビュースポットとしても人気がある所。この方向は駐車場方向で鶴ヶ城は見えないが、雪化粧した町並みが旅情を誘います。


ローマ記念碑


 飯盛山のローマ記念碑。白虎隊の精神・魂は海外の人にも感銘を与えたようで、この記念碑は感動したローマ市から寄贈されたもの。材料は古代都市ポンペイから発掘された石柱を使用しています。
飯盛山 ローマ記念碑

自刃したのは19人ではなく20人?


 飯盛山で自刃した白虎隊ですが、唯一生き残った人物がいました。その人物の名は「飯沼 貞吉」。白虎隊が自刃した後、後から駆けつけた会津藩縁の人間が死にきれず呻いている飯沼を見つけ、治療の結果一命をとり止めるます。つまり自刃しようとした白虎隊員は20名で1人生き残った為、自刃したのは19名となったわけです。その後生き残った飯沼は通信技師となり76歳まで生きますが、一人生き残ったことを恥じとし、白虎隊のことは多く語らなかったといわれています。しかし晩年になって少しずつ当時の事を話し出し、白虎隊の当時の様子が広く世間に知られるようになるのです。飯沼貞吉は仙台でその生涯を終えますが遺言により遺骨の一部が飯盛山に埋葬され今も飯沼貞吉の墓として飯盛山の一画にたたずんでいます。