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岩手県の宿

石川啄木記念館


 石川啄木記念館は盛岡市郊外の石川啄木が幼年時代をすごした宝徳時のすぐ近くにあり、啄木が教鞭をとった学校や宿家が敷地内に移築され見学できるようになっている。

・入館料:大人300円、高校生200円、小中学生100円  ※団体割引あり
・営業時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)   
・休館日:毎週月曜日、年末年始
・駐車場 無料駐車場あり
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石川啄木記念館

岩手県の石川啄木記念館。国道4号線沿いの旧渋民村中心部にあるのだが、周囲にはバイパスの迂回路があり、普通にバイパスの方を走行してしまうとたどり着けない。
石川啄木記念館
館内の光景

石川啄木記念館館内の光景。石川啄木の生涯にそって様々な写真やゆかりの品々、作品などが展示されている。これらを見ると石川啄木がどのような生涯を送ったかが良く分かる石川啄木記念館館内の光景
学校と宿屋

岩手県の石川啄木記念館敷地内に移築されている石川啄木が教鞭をとった学校(左)と一時期住んでいた宿屋(左)。どちらも石川啄木なじみの建物。
岩手県 石川啄木記念館
校内の光景

石川啄木が教鞭をとった学校内の光景。当然の事ながら木造で天井はかなり低かった。あちらこちらに隙間があり、寒さが厳しい岩手では子供達も寒い思いをしたのだろう。
石川啄木が教鞭をとった学校
銅像と岩手山

石川啄木記念館の敷地内にある啄木と子供たちの銅像。銅像の奥にはまだ残雪残る岩手山が見える。石川啄木記念館はちょっとした高台にあり、岩手山のビュースポットとしても知られている。 
石川啄木の銅像と岩手山
宝徳寺

石川啄木が幼少時にすごした宝徳寺。ちなみに啄木の父親はお寺のお坊さんである。この宝徳寺は石川啄木記念館から奥にいった所にあり、啄木が当時愛した部屋はそのまま残されています。
石川啄木がすごした寺 宝徳寺
石川啄木の人物像
 石川啄木といえば多くの方が「才能はあるのに世に認められる事無く若くして世を去った不遇の人物」というイメージを持っていると思いますが、実際は多くの人間にその才能を認められ、また性格は結構気まぐれで27才でこの世を去るまで波瀾万丈の人生だったようです。このページでは石川啄木の人物像を探る手がかりとして職歴と恋人について紹介したいと思います。

職歴
 石川啄木は故郷の岩手県では学校の先生、実家のしがらみから故郷を追われた後に辿り着いた北海道では学校の先生及び新聞社、作家の夢を諦めきれずに上京したさきでは新聞社と主に学校の先生と新聞社を職を点々としますがどれも長続きはしなかったようです。理由はお寺の住職である父が罷免されたり大火で職場が焼失したりとやむなき事情の場合もありますが、職場の同僚や上司との意見の食い違いからの衝突や小説家になる夢を捨てきれない啄木自身にも問題があった一面もあったようです。しかしここで特筆すべき点は啄木が職を失う度に旧知の友が啄木に似合った職を見つけてきたり、相手に頭を下げてお願いしたりして職を斡旋していることです。通常職を紹介してもすぐ辞めてしまうようなワガママで自分勝手な人物の為に自ら走り回り、頭を下げたりして職を見つけてやるようなことはしないと思うのですが、啄木は啄木の才能を理解しどんな時でもまた遠くにいても見捨てることのない素晴らしい先輩や友人に恵まれていたようです。また啄木自身どこか人を惹き付ける魅力のようなものが備わっていたのでしょう。

恋人
 石川啄木は盛岡中学在学中に堀合節子という女性と知り合い、早熟な恋に落ちたすえ19才の時に結婚しています。その後北海道の函館では職場の同僚で教員の「橘智恵子」と釧路では芸者「小奴」、看護婦の梅川ミサホ、寺の住職の娘である「小菅まさえ」なにどと恋仲になったとされています。啄木にとって北海道での生活は自由にふるまうことができたまさに人生の絶頂期ともいえる時期で、特に新聞社の編集長に抜擢された釧路時代は若手の敏腕編集者として名を馳せ毎夜花街に繰り出した得意な時だったようです。ここらへんの事は「啄木日記」に記されており結構な修羅場にも遭遇してきたようです。しかし啄木にとっては行きずりの恋だったのか多くの女性に手を出した釧路市も3ヶ月ほどで離れて行ってしまうのです。
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