蕪島・ウミネコの光景



蕪島とウミネコ 蕪島は約1億年以上も前に海底火山の活動でできたものと推測され、元々は「島」でした。その後、戦時中旧日本軍により埋め立てられ現在の岬のような形になりました。名前の由来は島に蕪の花が咲く島=蕪島からきているとされています。春の蕪島はウミネコの産卵の季節と菜の花が黄色く咲き誇る時期がちょうど重なり一段と華やかで美しく見えます。


蕪島の光景


5月の蕪島の光景 ウミネコが子育て真っ盛りの5月の蕪島。上空にはたくさんのウミネコが舞い、島は菜の花の黄色とウミネコの白で彩られる。ウミネコは2月下旬から7月中旬頃まで子育ての為に八戸市の蕪島に集まり、その数は4万羽にもなります。



蕪島海水浴場

蕪島海水浴場 こちらはウミネコが去った8月の光景。目の前に見えるのが蕪島と蕪嶋神社。この時期になるとウミネコ達は子育てを終え蕪島からはいなくなり、かわりに蕪島海水浴場では海水浴を楽しむ人間の姿が多くなります。蕪島海水浴場は八戸市の中心部からすぐのところにあり気軽に訪れることができ、すぐ近くにはバーベキュー可能な広場もあります。



蕪島とウミネコ

飛び交うウミネコ 蕪島の前を飛び交うウミネコ。山の上に見える建物は蕪嶋神社で黄色く見えるのが菜の花。この菜の花は元々蕪島に自生していたものですが、戦時中に旧海軍の基地が建設され植生が痛んだため戦後西洋アブラナが植えられ現在に至っています。


ウミネコのコロニー

ウミネコのコロニー 蕪嶋神社の裏手。菜の花が群生するなだらかな斜面に無数のウミネコが営巣しています。なお写真の区域に人は立ち入ることはできません。


ウミネコの光景


 蕪島のウミネコは魚が集まる漁場を知らせてくれる弁天様の使いとして昔から地域の人々に大切にされてきました。
 ウミネコは2月頃(ウミネコの第1陣が確認されるのは毎年2月20日前後)、蕪島にやって来て巣作りを始め、5月の中旬には雛が生まれ、子育ての終わる夏の初めに日本各地に飛び立っていきます。この期間中蕪島では求愛中のウミネコや巣作り真っ最中のウミネコ、そして卵や雛の姿も間近に見ることができます。



求愛行動

ウミネコのプロポーズ 歩道の欄干で見つめ合うウミネコ。プロポーズでもしているのでしょうか?4月を過ぎると蕪島周辺で行動しているウミネコのほとんどはつがい。そして5月には巣作りも終え子育てを始めます。
ウミネコの求愛行動 蕪島の海水浴場周辺で交尾をしているウミネコ。近くでは似たような行動をとっているつがいが何組かみられ、すでに巣作りを終え卵を暖めているつがいも多数みられました。


巣作り

巣作り真っ最中のウミネコ 蕪嶋神社を登る階段の途中で巣作りに励むウミネコ。しかしこの時期(写真を撮影した5月中旬)、他のウミネコの大半はすでに雛が生まれ子育ての真っ最中でした。



ウミネコの巣と卵

ウミネコ 巣作り  ウミネコの卵。蕪島に飛来したウミネコ達も4月の後半になると巣作りを終え、卵を暖め始めます。卵は濃いネズミ色で蕪島やその周辺を散策していると普通に見ることができます。また5月も中旬になると雛の姿も見れるようになります。



卵の孵化

ウミネコの卵 ご覧の卵は雛が殻を割り今にも孵化しそうな状態。望遠レンズで30分ほど観察していたのですが、なかなか出て来ず結局は撮影を断念してしまいました。



子育て

ウミネコの子育て 雛にエサを与えるウミネコ。蕪島がある八戸市は豊かな漁場をひかえ、エサが豊富にある。春先には魚を運ぶ水産関係のトラックに群がる光景もよく目にします。


ウミネコの雛 こちらは大分大きくなってきた雛。ウミネコは縄張り意識が大変強く、雛の命を落とす一番の原因は他の親鳥の縄張りに入り込んでしまった為に攻撃される事によるものなのだそうです。


ウミネコの餌やり

ウミネコの餌やりは以前は営巣エリア外ではOKでしたが、親鳥が興奮し雛が危険にさらされる為、蕪島エリア全域で禁止となりました。下のエサやりの写真は2008年頃に撮影したものです。


エサをねだるウミネコ カッパエビセンを持った人に群がるウミネコ達。蕪島のウミネコは人に対する警戒心は少なく、エサがあるとわかると平気で人間に近づいてきて取り囲みます。我々人間もウミネコがすぐ間近まで近寄ってくるので思わずエサをあげたくなってしまいます。

エサに群がるウミネコと初老の女性 エサをねだるウミネコと初老の女性。県外から来たと思われるこの女性は嬉しそうにカッパエビセンを与えていました。この写真を撮影した震災以前の頃は蕪島前に売店がありエサであるカッパエビセンが販売されていました。