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大湯環状列石 旅行記


 大湯環状列石野中堂環状列石万座環状列石の2つのストーンサークルからなる縄文時代後期の遺跡です。環状列石(ストーンサークル)は縄文時代の共同墓地と考えられていますが、中心部には日時計状組石と呼ばれる組石があり、2つの環状列石の中心部を結んだ線が太陽が夏至の日に沈む方向と冬至の日に昇る方向になっており、天文的な要素を持った祈りと祭りの場であるとする説もあります。なお大湯環状列石(ストーンサークル)の周辺からは掘立柱建物、土坑、貯蔵穴等が見つかり、他に土器や土偶、鐸型土製品等も出土しています。
 
大湯環状列石の旅
遺跡周辺の果樹園

大湯環状列石遺跡群のすぐ隣には果樹園が広がり、散策していると果物の甘い香りがただよってきた。縄文人達は海や川に近く水はけの良い場所を選んで集落を形成していたようだ。
大湯環状列石となりの果樹園
五本柱建物跡

大湯環状列石遺跡の西側にある「5本柱建物跡」。5本の柱を立てた跡が見つかったが、なんの用途に使用されていたかは分からない。縄文時代の建造物は殆どが木で作られ現在は消滅しているので想像力に頼るしかない。
大湯環状列石 五本柱建物跡
柱列

大湯環状列石遺跡の一番奥の部分に復元されている柱列。万座環状列石周辺から見ると距離があるので電柱の様に見える。柱列について公園内の案内には記載されていなかったが、そばの案内板に「柱列」と書かれてあった。
大湯環状列石 柱列
発掘現場

 大湯環状列石の発掘現場。左に見える建物は「大湯ストーンサークル館」でその先にある林を越えると「万座環状列石」の発掘現場が見えてくる。また道路を挟んで反対側に広がる草むらが「野中堂環状列石」の発掘現場。
大湯環状列石発掘現場
環状列石

環状列石を眺める観光客。訪れる人の中にはイギリスのストーンヘンジやフランスのカルナック列石のような巨石群を想像し、大湯環状列石の光景を見て拍子抜けする人も多いそうです。しかし地理的条件や気候などを考慮すれば大湯環状列石も世界に冠たる環状列石といえるでしょう。
環状列石と観光客


こちらは環状列石の全景。写真中央やや左側に人が立っているので環状列石の大きさが分かると思います。なお集落跡は環状列石を囲むような形で見つかっているそうです。


環状列石と集落跡
大湯環状列石の時代背景
 大湯環状列石周辺の縄文文化は今から約4000年前に花開いたとされています。この時期地球の気候は寒冷化がはじまり、日本でも寒冷化による食料事情から人口は減少傾向に向かい、日本最大の縄文集落跡である三内丸山遺跡もこの頃から痕跡が見られなくなります。また世界史に目を向けると中国では夏王朝がエジプトではエジプト王朝が栄えバビロニアでハンムラビ法典が制定されたり、モーゼの十戒で有名なモーゼがユダヤ人を連れてエジプトを脱出したのもこの時期です。
 なお一部の専門家の間では環状列石が火山灰層の下にあることから十和田湖の大噴火以前(5400年前)の縄文遺跡、つまり三内丸山遺跡よりも前の集落跡であるという意見もあります。
大湯環状列石のおすすめスポット一覧
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