銀閣寺(慈照寺) について




 銀閣寺は京都市左京区にある臨済宗相国寺派の寺で、別名慈照寺(じしょうじ)。室町幕府8代目将軍足利義政が文明14年(1482年)に鹿苑寺の金閣舎利殿(金閣寺)を模して造営した楼閣建築物です。金箔が張られた金閣寺に対して銀閣寺は外壁に黒漆が塗られていますが銀箔は使われてなく、銀閣は当初観音殿と呼ばれていました。銀閣寺という名称が使われ始めたのは江戸時代からと言われています。
 また銀閣寺は室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築物ですが、当時から残る建物は銀閣東求堂だけで、方丈や銀沙灘、向月台などの庭園が整備されたのは江戸時代のことです。なお1994年(平成6年)には金閣寺などと共に世界遺産に登録されています。 


銀閣寺の全景


銀閣寺(慈照寺)の全景 京都銀閣寺の全景。銀閣寺は京都の東山地区にあり、北山にある金閣寺とよく対比される。銀閣寺の建物は質素そのものだが銀沙灘や向月台がある庭園は日本文化の粋を極めた見事な光景が広がる。写真中央に建っているのは銀閣と呼ばれる観音殿や庫裏、方丈。足利義政存命中は数多くの伽藍や仏塔が建てられていたといわれているが(当時の記録では12棟の建物が存在したと記されています)、度重なる兵火でほとんどが失われ、現在義政存命中の建物は観音殿(銀閣)と東求堂の2棟のみとなっている。




総門


銀閣寺 総門  銀閣寺の総門。銀閣寺道から銀閣寺に至る長い参道が歩いてくると見えてくる。銀閣寺への入り口となる門だが意外と小さい。総門をくぐって道なりに右に進むときれいに割竹を縦に切りそろえられた銀閣寺垣が見られる。


本堂(方丈)


銀閣寺の方丈 銀閣寺の方丈。方丈は寺の本堂も兼ねており銀閣寺の方丈には釈迦牟尼仏が安置されている。また方丈正面には向月台や銀沙灘に代表される庭園が広がり、庭園のさらに奥には月待山が借景として控え、方丈から見る月待山は絶景といわれている。なお本堂には日本史上最大の夫婦喧嘩とされる応仁の乱を引き起こした足利義政と妻である日野富子の位牌も安置されている。


銀閣寺垣


銀閣寺垣  銀閣寺垣とは総門から中門までの参道にある竹垣のことで、銀閣寺垣(竹垣)の上には地上から約5mのところできれいに刈り込まれた生垣が作られている。この様式は銀閣寺特有のもの。