姫路城の歴代城主と歴史



 姫路城は12世紀に姫山に築城されてから廃藩置県に至るまで600年以上も姫路の地に鎮座してきた城です。鎌倉時代から南北朝、室町、戦国、江戸と幾星霜の時代を俯瞰したきた姫路城では時代と共に城主も変わり、なかには歴史の教科書に登場するような有名人も城主を務めたことがある由緒あるお城なのです。

姫路城の歴史


 約600年の歴史をもつ姫路城は姫路市の公式HPによると13氏、48代が城主を務めたとされています。 これには諸説あるそうですが、おおまかな数字は間違いないということで現在は結論に達しています。 この項では約600年間の間、姫路城を治めた主立った城主や家名、そして姫路城の歴史を紹介していきます。

赤松貞範
 1346年。最初に姫路城を築城したとされる人物。名門赤松家の出身で南北朝時代は北朝側について活躍し、後に室町時代前期を代表する名門大名に生長する。この時の姫路城は400uほどの小さな城でした。


小寺家
 1349年〜1441年。小寺家は赤松家一族の武将で赤松家の城代として姫路城を治める。


山名宗全
 1441年〜1467年。山名宗全は後におこる応仁の乱西方の総大将。播磨の守護であった赤松満祐が、将軍足利義教を誘殺し姫路に戻ると山名宗全は追ってこれを討ち、播磨の守護となる。


赤松政則
 1468年。政則は満祐の弟の孫であり、応仁の乱発生時には赤松家の再興を期し東軍側につき播磨の旧領を奪還する。その後姫路城は重臣の小寺家に治めさせる(1470年〜1531年)。この頃に姫路城は拡張され本丸などが築かれます。


黒田家
 1545年〜1567年。小寺家の命により黒田家が姫路城の城主となる。この黒田家から後の「黒田官兵衛」が輩出されることになる。またこの頃になると小寺家と宗家赤松家の仲も険悪となりいざこざが絶えないようになる。


黒田官兵衛 
 1567年〜1576年。NHKの大河ドラマの主人公でもあり稀代の軍師として有名な官兵衛が黒田家の当主となり姫路城を治める。


羽柴秀吉
 1580年〜1582年。黒田官兵衛、織田信長と会い臣従関係となる。その後信長から中国地方の攻略を任された羽柴秀吉に姫路城を献じ、秀吉は中国地方攻略の拠点として姫路城を整備し三層の天守閣とともに城下町を築き現在の姫路城及び姫路市の基礎を作る。その後豊臣秀吉が死去する1598年まで羽柴秀長、木下家定と秀吉縁の人物が姫路を治める。


池田輝政
 1600年〜1613年。関ヶ原の合戦で功のあった池田輝政が姫路の大名となり、姫路城を含めた城下町の大改修を行い1609年には現在私たちが見ている大天守閣が完成する。その後輝政死後も1616年まで池田氏が姫路を治める。


本多忠政
 1617年〜1618年。大阪の陣の武功が認められて本多忠政が西国大名の抑えとして姫路城に入城する。忠政は徳川家康の猛将、本田忠勝の息子で嫁は家康の孫である熊姫といういわば武門のサラブレッド。忠政の時代には西ノ丸が築かれほぼ現在の形になる。また本多家以降は榊原家や酒井家、松平家といった徳川家譜代の大名が姫路城に入城し西国大名への睨みを効かせている。


神戸清一郎
 廃藩置県後に「熊本城」や「名古屋城」などと共に廃城を免れ兵部省の所轄となった姫路城を神戸清一郎という人物が1871年に競売により23円50銭で落札。しかし城の維持や当時見込んでいた瓦や木材といった城の資材売却などがうまくいかず1878年に権利を手放し陸軍省の管轄となる。ちなみに23円50銭という金額を現在の価値に換算すると約10万円ほどではないかと推測されます。


姫路城の歴代城主

()内の年代は城主となった年

赤松貞範(1346年)−小寺頼季(1349年)−小寺景治(1352年)−小寺景重(1358年)−小寺職治(1403年)−山名持豊(1441年)−赤松政則(1467年)−小寺豊職(1470年)−小寺政隆(1491年)−小寺則職(1519年)−八代道慶(1531年)−黒田重隆(1545年)−黒田職隆(1564年)−黒田孝高(1567年)−羽柴秀吉(1580年)−羽柴秀長(1583年)−木下家定(1585年)−池田輝政(1600年)−池田利隆(1613年)−池田光政(1616年)−本多忠政(1617年)−本多政朝(1631年)−本多政勝(1639年)−松平忠明(1639年)−松平忠弘(1644年)−松平直基(1648年)−松平直矩(1648年)−榊原忠次(1649年)−榊原正房(1665年)−松平直矩(1667年)−本多忠国(1682年)−本多忠孝(1704年)−榊原政邦(1704年)−榊原政祐(1726年)−榊原政ュ(1732年)−榊原正永(1741年)−松平明矩(1741年)−松平朝矩(1748年)−酒井忠恭(1749年)−酒井忠以(1772年)−酒井忠道(1790年)−酒井忠実(1814年)−酒井忠学(1835年)−酒井忠宝(1844年)−酒井忠顕(1853年)−酒井忠績(1860年)−酒井忠惇(1867年)−酒井忠邦(1868年)