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長安門 南京町の長安門。門は大理石で作られており見事な龍の彫刻が彫られている。なお大理石は中国河北省から取り寄せたものなのだそうです。 |
長安門夜の光景。夜になるとライトアップされる長安門は昭和60年に建てられた楼門で、阪神淡路大震災で被害を受けたが後に復興し町のシンボルとなっている。 |
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西安門 南京町西安門の光景。この西安門は中国宋の時代の門をモデルにしたとされている。なお余談だが宋の時代、中国の都は開封で以後西安(長安)に都がおかれることはなかった。 |
西安門夜の光景。西安門は南京町の楼門のなかでは一番新しく平成17年に建てられたもの。門をくぐって街側から見ると中国語で復興を意味する「光復」の文字が見える。 |
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南楼門 南京町の南楼門。南の玄関口にあたる楼門で、南京町にある楼門のなかではもっとも古く昭和57年に建てられた。なお南楼門から真っ直ぐ進めば南京町広場を経由して元町駅に到着する。 |
東西道路 南京町の東西道路。長安門と西安門とを結ぶ大通りにあたる道。横浜や長崎など他の有名なチャイナタウンに比べると道幅が狭く一見すると路地のようになっている。 |
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南京町の歴史は神戸の歴史 神戸市は遣隋使の時代から港町として発展してきた村でしたが、明治になり開港されると日本を含めた世界中から文化や、財が集まり、それに伴い外国人や港湾工事の為の労働者達も集まり村は一気に様変わりします。当時神戸に集まってきた労働者達の中には西欧の列強諸国に土地を租借され、奴隷のように働かされていた中国人が新天地を求めて日本に渡ってきた例も多くおり、主にそのような人達が集まり形成されていったコミュニティーが南京町です。 明治時代からオシャレな町として名を馳せた神戸ですが、優雅な暮らしをしていたのは外国人とほんのごく一部の日本人のみで、多くの方は労働者として貧しい暮らしをしていました。南京町はそんな人々の生活を支え続け庶民の台所として神戸の発展を影で支え続けたました。太平洋戦争が始まると神戸空襲で全焼し、戦後は進駐軍を相手にする歓楽街となったり、船員相手の売春行為などが横行した時期もありましたが、近年は環境整備も進み庶民の台所から日本を代表するチャイナタウンへと変貌をとげ現在に至っているのです。 なお阪神淡路大震災時は南京町自体も甚大な被害を被りましたが、それでも被災した人達への炊き出しを行うなど観光名所化した現代でも明治時代から続く神戸の町の裏方さん的精神は受け継がれているようです。 このような今ではほとんどの方が忘れてしまい、語られることのなくなった南京町の歴史を振り返りながら散策すると町の新しい一面が見えてくるかもしれません。 |
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