清水寺の七不思議



 清水寺の七不思議とは誰でも一度は聞いた事のあるフレーズだと思いますが、じゃあ一体何なの?と聞かれてもなかなか明確に答えられないものです。そもそも清水寺の七不思議とは一般的にいうミステリアスな事柄ではなく、常識的に考えて少々不可解で理解に苦しむような点を指したもので、数えるときりがなく七不思議程度では収まりませんし本や人によってはどれをもって七つとするのか見解も違います。本ページではこれら清水寺の七不思議と言われているものに史実に基づいた歴史的秘話も掲載してみました。 

清水寺の七不思議


(注:正式に七不思議がどれかということは分かりませんので参拝経路順に並べています)

不思議(その1) 清水寺の首振り地蔵

清水寺 首振り地蔵 首が360度まわるお地蔵様。一回転させてからお願いすると願い事がかなうと言われ、回らない人は体の調子が悪いといわれています。また最近は「自分が恋い慕う人がいる方向に首を振り向けて祈願すると、願いが叶う」恋愛成就のご利益もあるとされ人気急上昇中のお地蔵様。場所は清水寺仁王門より外にある善光寺に安置されている。

不思議(その2) 馬駐(うまとどめ)の金具

清水寺 馬駐馬駐とは参拝時に馬をつないでおく場所で、清水寺では仁王門の左手にある。通常横向きに設置されている金具が一箇所だけ下向きについており、その理由は分かっていません。



不思議(その3) 阿・阿の狛犬

清水寺 阿・阿の狛犬 通常狛犬は口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)、つまり「あうん」になっていますが、清水寺仁王門の前に置かれている狛犬は両方阿形となっている。ちなみに阿形とは宇宙や生命のはじまりを意味する様相。

不思議(その4) 仁王門のカンカン貫(ぬき)

 仁王門右側のはしにある大きなくぼみで、一人が耳をあて、もう一人が反対側から爪で叩くとその音が電話のように聞こえると言われています。

不思議(その5) 虎の図の石灯籠

 江戸後期の画家岩駒(がんく)が寄進した「虎の図」が刻まれた石灯籠で西門に通じる階段脇にあります。どこから見ても睨みつけられたように虎と目が合うとされ、この虎には毎晩灯籠から抜け出して池の水を飲みに行くという言い伝えが残されています。

不思議(その6) 鐘楼の柱

清水寺の鐘楼 清水寺の鐘楼は丸柱が六本あります。通常鐘楼の柱はどんなに大きな梵鐘を支えていても4本である為、七不思議のひとつに数えられています。

不思議(その7) 景清爪彫りの観音

 随求堂手前にある石灯籠の火袋内に納めれた線彫りの小さな観音像は、源平合戦の折、平景清が清水寺に潜伏していた時に(獄に入れられている間という説もある)、爪で石の上に観音様を彫り奉納したと伝えれています。

不思議(その8) 三重の塔の屋根瓦

清水寺 七不思議 三重塔 屋根瓦  重要文化財である清水寺三重塔の鬼瓦は南東方向の瓦だけ鬼ではなく龍になっています。これは防火の意味が込められているとされています。

不思議(その9) 轟橋

 轟橋は中央の板張りを舌、両端の石造部分を歯に見立てて、清水寺の「口」と言われ、かたわらの手水水で口をゆすぐと歯痛、頭痛が治ると伝えられています。また橋ではあるが水は流れていません。

不思議(その10) 轟橋の門

清水寺 七不思議 轟橋 門 本堂の西にある門で受付がある所ですが、門なのに扉が無く、また仁王門同様、磨り減った木口があります。

不思議(その11) 手水鉢

手水鉢の堂を支える脚が二本しかありません。考えてみると不自然で不思議な話です。

不思議(その12) 梟の手水鉢

 手水鉢に注がれる水は龍の口から水が湧き出ています。なぜ龍なのに梟(ふくろう)かと言うと、この手水鉢を支える石の四隅に梟の彫像がついた台座になっているから。フクロウと言えば知恵の神様なので、下座に置くのは不思議だということになっています。

不思議(その13) 弁慶の指跡

 本堂裏側の貫の木の目に沿って付いている深さ2センチほどの溝。これは弁慶が指で付けたものとも夜に願をかけに清水寺へ参拝した人たちが、暗い堂内を歩くときに壁を辿った跡とも言われています。

不思議(その14) 弁慶の足形石

弁慶の足形 朝倉堂の前に置かれている一尺七寸(約50cm)もの大きな足形が付いた石。この足形は弁慶のものとも平景清のものともいわれており、足形をなでた手で足腰の痛い箇所をさすると治るといわれています。

不思議(その15) 清水の舞台

清水の舞台 なんといっても清水寺最大のミステリー。舞台を支える柱は48本、釘は一切使わず組み立てられています。その昔はこの舞台から飛び降り命があれば願いが叶い、たとえ命を落としても極楽浄土に行けるといわれていました。

歴史秘話


新世界の七不思議

 新世界の七不思議は投票によって選ばれた現代版の七不思議。清水寺は候補にノミネートされたが惜しくも本選で落ちてしまった。

清水寺と坂上田村麻呂

 平安時代の武官。坂上田村麻呂は清水寺の創建に深く関わっており、780年に妻の安産の為に鹿狩りをしたさい延鎮上人と出会い、殺生の非を諭され延鎮上人に帰依し、さらに本尊の十一面千手観音像を安置する為、仏殿を寄進し、さらに伽藍を造り替え千手観音像に脇侍の地蔵菩薩と毘沙門天像を安置したといわれています。坂上田村麻呂は蝦夷討伐の折りには武神である毘沙門天に祈願し戦いにおいて勝利を得た後は各地に毘沙門堂を建てたと云われており、松島の五大堂平泉の達谷窟は有名。また坂上田村麻呂の妻としては鬼の美女である鈴鹿御前が有名だが、本項で登場する妻とは三善清継の娘 高子のことで実在した人物。

清水の舞台は防衛拠点

 清水寺は京都では珍しい法相宗の寺で、中世の頃は同じく法相宗の寺である南都(奈良)の興福寺の出先機関のような役目を担っていました。この頃は南都北嶺と呼ばれ南都(奈良)の興福寺と北嶺(比叡山)はともに大荘園と僧兵を抱え激しく対立しており清水寺も何度か比叡山の僧兵により焼き討ちの目にあっています。この為清水寺には古い建造物がほとんど残されていないのですが、音羽山の尾根を切り開いて寺を造り、崖上に張り出した本堂、奥の院を設けたのも京都の北東に位置する比叡山に対する要害の地として、防衛上の意図があったものと推測されています。