北野天満宮のご利益



 北野天満宮の主祭神である菅原道真公は幼い頃より勉学に励み、当時としては史上最年少の若さで国家試験に合格し右大臣という位にまで上り詰めました。この管公にあやかりたいと江戸時代の頃から多くの方が学業成就を祈願しに訪れており、絵馬所では江戸時代に奉納された絵馬を見ることができます。

勧学御守


北野天満宮 勧学御守 学問の神様だけあって受験生には絶対の人気を誇る御守り。初穂料は700円で勧学お札もあり、公式HPによると電話での案内もしている(電話 075-461-0005 【北野天満宮社務所】)とのこと。ちなみに勧学とは「勉学がすすむ」という意味です。また勧学御守の販売や合格祈願代行サービスなどしている業者もいますが北野天満宮を含めた全国の天満宮とは一切関係ないので注意して下さい。


北野天満宮の牛 牛は菅原道真公(天神様)のお使いとされ境内に多数ある牛の座像をなでると成績が上がったり、体の悪い部分が治ったりするご利益があると云われています。この為どの牛も参拝者になでられてピカピカに輝いています。
 なお牛の由来は管公の誕生した年が丑年(うしどし)であることや、大宰府で生涯を閉じた菅公の遺体を運ぶ際に、車を引く牛が座り込んで動かなくなったため、やむなく付近の寺院に埋葬した故事(埋葬された寺社が現在の太宰府天満宮です)などに基づきます(牛が座像であるのはこの故事に由来しています)。


合格祈願の鉛筆


北野天満宮 学業鉛筆 勧学御守に次いで受験生の皆さんに人気のあるのが「学業鉛筆」。鉛筆は普通のものと金色の2種類あり形は4角形。菅原道真公の和歌入り3本と無地3本の計6本が納められています。もし受験の際に学業鉛筆を使用する場合は無地の方を用いるとよいでしょう(文字が記されている鉛筆は入試の際、使用禁止となる場合があります)。

絵馬


 とにかく学業成就の祈願にくる参拝者が多い北野天満宮では、合格祈願が記された数多くの絵馬も有名です。絵馬というのは神社に祈願する際、昔は馬を奉納していたのが時代が変わり、馬の代わりに絵馬を奉納するようになったもので、現代においてなにか願い事をする場合には忘れてはならない大事なものです。皆さんも北野天満宮に限らず神社でなにか願い事を祈願する際には絵馬を奉納するのを忘れないようにして下さい。


菅原道真


 菅原家は天穂日命(アメノホヒ)を祖先神とする古代日本王朝におけるエリート貴族 。道真は上流階級の生まれとはいえ身分は低く、幼い頃より猛勉強をし国家試験に合格し右大臣にまで出世しますが、政敵の藤原氏との政争に敗れ太宰府に左遷されてしまいます。左遷の2年後菅原道真は脚気と皮膚病により太宰府で亡くなりますが、その後都では落雷などの天災や藤原一族の怪死などが続き、これらが菅原道真の祟りであると信じられ、「天満大自在天神(雷神)」として神格化されます。この神様は時代の流れと共に無実の罪に陥れられた人を救う神として発展し、江戸時代になると人間であった頃のエピソードに由来し学問の神様としての一面も持ち合わせていくようになるのです。

 歴史上の菅原道真は「遣唐使を廃止し以後国風文化が熟成していく基礎を作った人物」として知られています。人物的には政敵藤原氏からやんわりと「貴方はそろそろ政界から身を引くべきではありませんか」と言われた際にきっぱりと断る剛胆な面もありますが、藤原氏の嫌がらせにより部下が全員仕事をボイコットしたときなどは時の天皇に「仕事になりません」と泣きついたりする少々気弱な面も見受けられる人間味のある人物でした。


ご利益


農耕
 菅原道真公の祖先神は前述のとおり天穂日命(アメノホヒ)で農耕神です。また管公は雨を降らす雷神として崇められてます(これは菅原道真公が亡くなった後、都で落雷の被害が相次いだことによります)ので当然のことながら農耕の守護神という一面ももっているのです。

冤罪を晴らす神
 冤罪で太宰府に左遷され、死後冤罪が晴れ雷神として神格化された菅原道真公。このことから無実の罪に泣く弱者を救ってくれる神信仰されています。なお菅公の冤罪が晴れたことを祝う明祭は4月20日に行われています。

学問・和歌・連歌の神
 道真公は早くも五歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り14・5歳で天才と賞賛され、後には「文道の太祖・風月の本主」と仰がれました。このことから寺子屋が庶民の教育機関として普及した江戸時代には、毎月25日に「天神講(学問の神様である菅原道真公の命日をお偲びするお祭りで天神祭ともいわれています)」が行われ書道の上達と学業成就を祈るようになったのです。