大阪城(大阪城公園) 観光案内 「豊國神社」



 豊國神社は百姓の身分から知恵と度胸と機転の良さで天下人にまで登り詰めた豊臣秀吉を祀っている神社。他に「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」も祀られており、戦国一の出世頭である豊臣秀吉公を祀っていることから、開運出世のご利益があるとされている。ちょうど大阪城の外堀と内堀の間に鎮座している。

豊臣秀頼
 豊臣秀吉の息子。織田信長を大叔父にもち徳川家康の孫を妻にむかえた天下人を約束された戦国のサラブレットでしたが運命には逆らえず1615年大阪夏の陣で自害する。ひ弱で軟弱者のイメージがありますがこれは後生に敵対した徳川政権によって作り上げられたものである可能性も高く実際の所はよく分かっていません。秀吉の死後は数々の寺社の再建に尽くしており、その功績は今に語り継がれています。

豊臣秀長
 豊臣秀吉の異父弟で秀吉の片腕として内政、外政、軍事と様々な方面で活躍した功臣。性格は温厚、寛容、真面目とされ秀吉にとっては縁の下の力持ち的存在で、豊臣政権下にあっては秀吉に唯一意見できる人物でしたが1991年に皆に惜しまれつつ病死しました。秀長の死後、秀吉は千利休の切腹や豊臣秀次一族の虐殺、朝鮮出兵と政権を疲弊させることを次々と行い豊臣家滅亡の遠因を作り出します。「もしこの人物が短命でなかったら歴史は変わったかも」では常に名前が挙がる人物で、秀長が生きていたら徳川家の天下はなかってかもしれないといわれています。


豊國神社


豊國神社 大阪城公園内にある豊國神社(ほうこくじんじゃ)。草履取りから天下人になった豊臣秀吉が祭られている。出世開運の神様として広く大阪市民に親しまれている。


豊臣秀吉像


豊臣秀吉 豊國神社の主祭神のひとりである豊臣秀吉公の銅像。数多くの資料をもとに忠実に再現されています。戦国時代に生まれた百姓(下級武士という説もある)の木下藤吉郎は平成の世にあってはこのように神様として祀られています。