洗ったお金 福銭は使っていいの?



銭洗弁天 奥宮 鎌倉随一の金運アップ神社「銭洗弁天」。泉から湧く霊水でお金を洗うと不浄な塵芥が落ち福銭となり、福銭を使うことにより福が舞い降りると信じられています。特に源頼朝がお告げを聞いた「巳」の日はご利益があるとされ門前には灯籠がかかります。
 
 では霊泉で洗い福銭となったお金はどうすればよいのでしょうか?「半分使って半分しまう」「貯めておいた方がいい」「その日のうちに使ってしまう」など色々と言われていますが、現地の案内看板には「洗ったお金は有意義に使うことが基本」と記されています。せっかくだから取っておきたい気持ちにもなりますが使ってしまうのが正しい福銭の扱い方です。

 経済学の観点から考えても経済を人間の体にたとえるとお金は血液。血液(お金)はどんどん体内を巡った方が(お金を使った方が)体は健康になります(経済はよくなります)。理にかなっていますよね。


※巳の日は12日間隔で巡ってきますが、その日は年により異なりますので巳の日に訪れたい場合はご自身で調べてみてください。


金運アップの為の正しいお金の洗い方


@ 社務所でロウソクと線香一束をお受けし、お金を洗うザルを借ります。

A さてここからが本番です。この先の行為は心を込めて行いましょう。まずは本社に灯されている大きなロウソクから先ほどお受けしたロウソクに火を移し、さらに線香にも火をつけます。なおロウソクは闇を照らし光を届け線香は邪気を払い身を清めるといわれています。

銭洗弁天のロウソクと線香B 火を点けた線香を線香台に供え、線香から発する煙で体を清めます。

C 体を清め終わったら本社で参拝し、境内にある他のお社にも参拝します。

D 一通り参拝が終わったらいよいよ奥宮へ。堂内の霊泉をひしゃくですくいザルに入れたお金に3杯ほどゆっくりとかけます。なおかけるお水は少量でかまわないそうです。

銭洗水E お金を洗い終わったらザルは洞窟内にある返却場所へ。お札は丁寧に水分を拭き取ります。なおこの際水を拭き取るハンカチ等は持参となりますので、普段からハンカチを携帯していない方はちゃんと準備しておきましょう。

F 洗ったお金「福銭」を財布に戻して完了です。なおお金はそのまま保管するのではなく有意義に使うのが正しい金運アップの方法で、お金を使うことにより金回りがよくなるのだそうです。

補足
 銭洗水の事を源頼朝に伝えた佐助稲荷神社に祭られている「宇賀福神」と銭洗弁財天宇賀福神社(銭洗弁天のこと)の宇賀福神は同一神とされていますので参拝するときは方詣りとならないよう2社に詣でるのが良いとされています。また周囲は薄暗く照明もほとんど無い所なので訪れる場合はまだ日の高いうちがおすすめです。




銭洗弁天の神様


本宮 市杵島姫命
 航海や水を司る神様。後に弁財天と同一神とされ、滝や泉、池といった水に関係する場所によく祀られており、有名な厳島神社の主祭神も市杵島姫命です。

奥宮 宇賀福神(弁財天)
 宇賀福神は日本神話では食物を司る神様 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)として登場する女神様。福神・蛇神などの点で弁財天と一致して習合。なお宇迦之御魂神を主祭神として祀ってある有名な神社としては伏見稲荷大社があります。

 さてここである疑問が湧いてきます。上述してあるように何故銭洗弁天の神様(弁天様)と佐助稲荷神社の神様(お稲荷様)は同一神なのでしょうか?また市杵島姫命と宇賀福神は共に弁財天と習合していますが、2柱も同一神なのでしょうか?

 上述の2つの疑問は内容が異なるようでいて本質は同じです。順番に紐解いていきましょう。

 まず佐助稲荷大社の神様は宇賀福神です。この宇賀福神のお告げにより源頼朝が霊泉を見つけたので霊泉(銭洗水)が湧いている所にも佐助稲荷神社の宇賀福神を祀りました。ですから佐助稲荷神社と銭洗水に鎮座する神様は同一神というわけです。

 つぎに宇賀福神は自らと同様の性質を持つ仏教の弁財天と習合していますから宇賀福神=弁財天となります。また弁財天は同じく同様の性質をもつ神道の市杵島姫命とも習合していますから弁財天=市杵島姫命ともなるわけです。
 では宇賀福神と市杵島姫命は同一神か?といいますとこちらは全く別の神様で古事記によれば宇賀福神(宇迦之御魂神)は、スサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれた穀物神で、市杵島姫命はアマテラスとスサノオの誓約によって生まれ位置づけはアマテラスの娘となっている航海や水を司る神様です。
 少々ややこしくなりましたが宇賀福神=弁財天=市杵島姫命となりますが、宇賀福神≠市杵島姫命ともなるわけです。

 なお参考までに鎌倉 銭洗弁天には宇賀福神、弁財天、市杵島姫命の3柱が鎮座されていることになりますが、この3柱は共に鎌倉 銭洗弁天の特徴である水と金運アップに関係する女神様である事を最後に付け加えておきます。

 また習合の考え方については別途「淡路島七福神巡り 神様なのになんでお寺なの」の項で詳しくご紹介しています。