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きみまち阪 旅行記「きみまち阪公園」


 きみまち阪公園秋田県能代市にある県立公園です。山が米代川まで張り出した地形は交通の難所でしたが、明治以降は道やトンネルが整備され、今ではきみまち阪の眼下を流れる米代川や対岸の七座山(ななくらさん)の光景は絶景ポイントとなっています。また紅葉の名所でもありびょうぶ岩を背景にした四季折々の光景が楽しめます。
 この他恋文の聖地としても知られており、第1広場にある「きみまち恋文ギャラリー」には以前行われた「きみまち恋文全国コンテスト」で入賞した歴代恋文などが展示されています。
 
きみまち阪の旅
きみまち阪公園 第1広場

きみまち阪公園の第1広場に通じる道。芝生が広がり行楽客や家族連れの憩いの場となっている。眼下には国道7号線と米代川が広がる。道沿いの桜はツツジは春には満開となり訪れる人達を和ませてくれる。
きみまち阪 第1広場周辺
道の駅 ふたつい

国道7号線沿いにある「道の駅ふたつい」。この裏手の山が「きみまち阪」。道の駅に車を停め、きみまち阪を散策する事ができる。なお余談であるが道の駅ふたついのトイレはとても洒落ていて綺麗だ。
道の駅 ふたつい
米代川

きみまち阪公園の第2広場付近からの光景。眼下に広がるのは米代川。きみまち阪の大岩を縫うように蛇行している。昔はきみまち阪を越えるのを諦め米代川を船で渡った人もたくさんいたようだが、激流に飲まれて亡くなった方も多かったと伝えられている。第2広場には展望用のベンチが設置されており、紅葉や桜の時期の光景は格別だ。第2広場はきみまち阪の中腹にあり第1広場からも歩いてすぐの所にある。
きみまち阪から見た米代川
きみまち阪公園のうぐいす沼

きみまち阪公園のうぐいす沼。きみまち阪中腹にあり人目を避けるように森の中でひっそりと黒く輝いている。湧き水のほか、周辺から湧き出た複数の小川が流れこんでいて透明度は高い。周辺には散策路が設置されており、この日は秋晴れの空が水面に映し出されていて沼の周辺にはたくさんの小鳥たちがさえずっていた。


うぐいす沼
山頂へ続く道

きみまち阪の頂上に通じる道。屏風岩の裏手にある。頂上には展望台やキャンプ場がある。米代川や七座山のパノラマが見える絶景ポイントでもある。ただし道幅が狭いので要注意。
きみまち阪 山頂へ続く道
 きみまち阪の遊歩道

きみまち阪の夫婦岩。巨大な二つの岩が折り重なるようにそびえ立っている。山頂に通じる道の途中にある。恋文の地にふさわしい岩だがここまで徒歩で来るのは体力的に少々キツイものがある。
きみまち阪 夫婦岩
きみまち阪公園の遊歩道

皇后歌碑に続く道。両側から岩山が迫ってくる。交通の難所であった昔の面影を残している。、昔は「郭公坂」「馬上坂」「畜生坂」などと呼ばれ、米代川そのものが街道に指定されていたそうです。
きみまち阪公園の歩道
 
交通の難所だったきみまち阪

 その昔、きみまち阪は羽州街道の難所のひとつで、名もない険しい山でした。旅人はいったん川を渡り、七座山のふもとを通ったあと、もう一度川を渡っていました。戊辰戦争の際には官軍側についた久保田藩がこの地に防御拠点を築き、連戦連勝を重ねていた幕府側の盛岡藩の進撃を食い止めてます。
 明治11年、イギリス人の紀行家「イザベラ・バード」は役所から渡河を禁止されているにも関わらず、船頭を雇い米代川を無理に小舟で遡ろうし、その時同じく米代川を航行していた屋形船が激流のため舵を取られ木の葉のようにくるくる回り、自分が乗っている小舟に衝突しそうになったとを記しています。結局、屋形船は樹木にぶつかり、船頭は樹木に綱を巻き付けましたが、その綱に8人がぶらさがると幹は折れ、8人は流れにのまれて見えなくなったそうです。
 明治13年、険しい山にゆるやかな坂道が初めて通され、明治14年、藤琴川には橋がかけられ、東北ご巡幸の明治天皇が渡り初めをしました。明治22年にはトンネルもでき、交通が便利になると共に訪れる人も増え、花樹を植えたり、東屋やベンチを置くなどの公園整備がおこなわれ、現在のような自然公園となっているのです。
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