瀬戸内寂聴



瀬戸内寂聴 法話 天台寺を訪れる人は観光客やお参りする人、法話を聞きに来る人等様々ですが、現在のように多数の人が訪れるようになったのは、天台寺が東北でも有数の古刹であるのと同時に瀬戸内寂聴元住職をはじめとした歴代住職の努力と功績が大きいとされています。
 明治以降の天台寺における荒廃ぶりは目に余る物があり、廃仏毀釈により平安時代から伝わる寺の多くの物が失われたうえに、良質の杉林に目をつけた森林業者によって境内の杉の巨木が無断で数多く伐採され衰退の一途をたどってました。しかし昭和40年代になると寺の復興活動が盛んになり、寺の荒廃もマスコミで大きく取り上げられるようになります。また昭和50年代からは歴代住職達も寺の復興に尽力し、瀬戸内寂聴さんの頃には岩手を代表する観光寺院のひとつとなるまでになるのです。
 瀬戸内寂聴師が自ら屋根に登り修復した本堂や、違法伐採された巨杉の供養の為に彫られたたくさんの石仏、そしてアジサイ等は境内や参道の至る所で見ることができ、瀬戸内寂聴師の努力の跡をうかがい知ることができます。



 下の写真は大規模な修繕工事が行われる以前の2009年頃の天台寺の光景。明治以降に荒廃した本堂は瀬戸内寂聴さんをはじめとする歴代住職さん達のご尽力により復興しました。
岩手県 天台寺 瀬戸内寂聴




瀬戸内寂聴師とは


 瀬戸内寂聴は天台宗尼僧であり小説家。大正11年(1922年)に徳島県で生まれ、21才に見合い結婚し長女を設けるが、その後夫の教え子と恋に落ち家庭を捨て京都で生活。この恋はほどなく破局を迎える。 その後働きながら小説家として執筆活動を続けるが作風が官能的で批判も多かった。1973年に中尊寺得度し1987年に天台寺の住職となる。もともと小説家から尼僧になったことで知名度も高く、人生経験豊かな瀬戸内寂聴師の法話は聞く者の心にストレートに響き、天台寺を一躍観光寺院にのし上げる。天台寺の名誉住職となった後も尼僧として日本全国で法話を開いたり、小説家として執筆活動も行っている。また原子力発電反対運動や戦争、テロ活動撲滅運動といった活動にも参加していた。
 2021年11月9日に京都で亡くなる(99歳没)。



瀬戸内寂聴さんの墓

 瀬戸内寂聴さんは生前から自らが住職を務めた岩手県天台寺と京都・嵯峨野にひらいた寂庵、自分が生まれた徳島の3カ所に分骨することを切望していおり、遺骨は現在徳島市井戸寺に納骨されています。




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