霊木伐採事件



天台寺 霊木伐採事件 天台寺の霊木伐採事件とは1953年(昭和28年)から1956年(昭和31年)にかけて、当時の住職が業者に騙され、本堂など屋根を修理するという名目により業者の手によって境内の杉の巨木1666本が無断で伐採され天台寺の御山全部がはげ山になった事件。
 天台寺は明治の神仏分離令による廃仏毀釈の被害をもっとも多く受けた寺院のひとつであり、昭和の神木伐採事件は天台寺の荒廃に拍車をかけることとなりました。
 この神木伐採事件は元々は一部檀家が本堂屋根改修経費を捻出するために30本程度の伐採許可を得たというものでしたが、伐採作業は延々と続けられ1960年(昭和35年)には伐採関係者により、寺領約20ヘクタールのうち18ヘクタールに地上権が設定され、再度の植林作業を行う事もできなくなってしまいます。この霊木伐採事件はやがて民事訴訟にまで発展し15年近くも争いが続きますが、伐採関係者は正式な手続きで登記を行っており決着はつきませんでした。
 しかし1976年(昭和51年)に天台寺の霊木伐採事件や荒廃がマスコミによって報道され世の知る事となると伐採関係者も譲歩し3ヘクタールを除いて地上権を解除するということで合意しました。


 天台寺がある岩手県北部は良質の杉の産地で太平洋戦争後、天台寺の霊木伐採事件と同じような地権者と伐採業者とのトラブルが多発しており、法律に疎い地権者側は泣き寝入りしてしまった方も多いようです。天台寺の霊木伐採事件はマスコミに取り上げられクローズアップされたことで解決の方向に向かいましたが、これは本当に運が良かった事案だったのかもしれません。


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姥杉


 その昔、天台寺には直径約5m、周囲約15mにも及ぶ巨大な「姥杉」があり、俗に八畳敷きと呼ばれていました。八畳敷きの名前の由来は姥杉の根元に朽穴があり、中が空洞になっており大人が7,8人入れる畳八畳分はあったことからきていると云われています。
 なお姥杉は明治36年(1903年)に火の不始末の為消失し、現在は焼け跡だけが残っています。下の写真の姥杉はそのままでは腐ってしまう為、史実と測量に基づいて平成13年3月に復元されたものです。
 霊木伐採事件とはあまり関係がありませんが、当時の天台寺には姥杉のような巨木が多数あり伐採業者にとっては垂涎の的だったのかもしれません。



姥杉

天台寺の姥杉  かつての天台寺境内には直径が2mを越す杉が1200本近くあったが、その中でももっとも太い杉「姥杉」は直径5mもあったとされ屋久島の縄文杉に匹敵する大きさでした。火災で焼失してしまった為、現在見れるのは焼け跡に復元されたもの。



天台寺の姥杉 姥杉を少し離れたところから眺めた光景。周囲の杉の木と比べるとその大きさが分かると思います。昔はこのような大木が日本中至る所で見られたのかもしれません。



月山神社


 月山神社とは天照大御神、素戔嗚尊とならんで三貴子とされる月読命が祀られている神社です。月読命は夜の世界の支配者で月の運行を見て暦を司ることから、農耕と漁猟の守護神とされています。
 天台寺では境内の奥深く、姥杉よりもさらに踏み入った先に鎮座しています。



天台寺 月山神社の神子石
 昔巫女が結界を破って八葉山に登ろうとし、まさに月山神社のお堂の前に至ったときたちまち腰が動かなくなり石に化したのがお堂前にある神子石といわれ、月山の霊験あらたかなものとして今に語り継がれています。



月山神社のお堂

八葉山 月山神社 八葉山にある月山神社のお堂。八葉山中で一番高いところに建てられている。その昔結界を破って立ち入った巫女が石と化したと伝えられる巫女石がすぐ脇に鎮座し、霊験あらたかな神社として語り継がれています。


月山神社の鳥居

八葉山 月山神社鳥居 八葉山にある月山神社の鳥居。毘沙門堂の隣八葉山の一番奥にあります。鳥居の奥の山道を登ると思うと嫌になると思いますが、お堂まではすぐで意外と楽にたどり着けました。



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