十和田湖 旅行記「十和田神社」



十和田神社 十和田神社は北東北地方に広く分布する水神信仰の象徴とされる神社です。
 言い伝えでは熊野三山で修行したこの地方出身の南祖坊が夢のお告げにしたがい、湖の主であった八郎太郎との争いに勝ち(三湖物語)新たな主になったといわれています。
 現在の十和田神社の主祭神は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」となっていますが、東北地方に伝わる水神信仰の象徴でもあり、奥の院には「十和田山青龍大権現=南祖坊」が祭られています。

占場


十和田湖 乙女の像 南祖坊入水の場と伝えられる占場は十和田神社から山中に150m程入った所にある頂きから鉄のはしごを下りた所にありますが現在は通行禁止となっており、船でしか行くことができません。
 この占場は吉凶を占う「神意必顕」の場として信仰を集めており、お金やお米を白紙にひねったものや、宮司が神前に供えて祈念をこらした「おより」を湖に投げ入れると願いが叶うときには水底に引き込まれ、願いが叶わないときには重い物でも湖面に浮いたまま沖に流されてしまうといわれています。

 現在は十和田神社で「おより紙」をお受けして、乙女の像の前に広がる御前ヶ浜に投げ入れるか、十和田湖遊覧船の臨時便である十和田神社占場経由便に乗り占うことができますが、自宅のお風呂や洗面台でも良いとのことです。


占場へ続く階段

十和田神社 占い場に続く階段 十和田神社の占い場へ続く階段。最深部である中湖に続く道ですが急峻な道や梯子を下っての行程なので、現在は通行不可となっています。

十和田湖の古銭

 占場では、紙に厘銭(厘とは昔の通貨単位で1/1000円を表す。厘銭とは今風に訳せば「小銭」という意味)を包んで湖中に投げ、その沈み方によって吉凶禍福を占ったと言われていますが、大正時代に十和田神社の神職が潜水夫をいれて調査したところ、日本の銭はもちろんのこと清や中華民国といった大陸の国や朝鮮の通貨も発見され、中には宋や唐の時代の古銭も見つかったそうです。宋、唐といえば日本では平安、奈良時代に相当し、この時代から東北最果ての湖で十和田湖の龍神信仰がなされていたのか?また朝鮮人や大陸の人々も信仰していたのか興味はつきません。 


十和田神社のご利益


 十和田神社のご利益についてネット上では色々紹介はされているのですが、どれも裏付けの無いものばかりではっきりとしていません。ただひとつはっきりといえるのが古来より龍神信仰の神聖な場所として崇められてきた霊地、つまりパワースポットであり、湖最深部にある占場はあらゆる願い事の吉凶を教えてくれる神意必顕の地であるということ。
 十和田神社に通じる原始の森に覆われた参道や八甲田の峰々に囲まれた十和田湖の光景を見ていると、神聖なるパワースポットといわれているのもうなずけます。

十和田神社の龍神(十和田湖 伝説)


 十和田神社に伝わる龍神伝説(十和田湖 伝説)は別名「三湖伝説」といわれ、十和田湖、八郎潟、田沢湖をそれぞれの主である南祖坊(後の十和田山青龍)、八郎太郎、辰子の三龍神が北東北でおりなす言い伝えで、龍神伝説の前半部分は平安時代(915年)におこった十和田火山の大噴火及び秋田県毛馬内地方を焼き払った大規模火砕流を描写したものと推測されています。このときの十和田火山の噴火は過去2000年間、日本国内で起きた最大規模であったと見られ北東北の東側を中心に当時降り積もった火山灰の地層を見ることができます。



龍神信仰(三湖伝説)

 八郎太郎はある日、仲間の分のイワナまで自分一人で食べてしまったところ急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み続け33尺の龍となってしまいました。自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主として住み着きます。(八郎太郎の出身地については各地に言い伝えが残されており、最も有名なのは秋田県鹿角市ですが他に青森県八戸市の八太郎地区、島守地区などにも言い伝えが残されています)


 一方熊野三山で修行した青森県南部地方出身の南祖坊が夢のお告げにしたがい、十和田湖を終の棲家とすべく湖の主であった八郎太郎と戦います。争いは七日七晩に渡り繰り広げられましたが最後に南祖坊が勝ち、八郎太郎は米代川を伝って逃げ、海岸近くで水を堰き止め新たな住み処を作ります。これが現在の八郎潟です。この八郎太郎が米代川を伝って逃げる言い伝えは十和田火山が噴火した際に発生した火砕泥流が米代川を伝って流れ下る様子を描写したものといわれています。


 また秋田県の田沢湖には辰子とよばれる龍神が住んでいましたが(詳細は「たつ子像」のページを参照)、辰子の美しさに惹かれた八郎太郎は毎冬田沢湖に通うようになります。ところが南祖坊も辰子の前に現れ、八郎太郎と南祖坊は辰子を巡って再び争います。この争い、今回は八郎太郎の勝ちとなり、以後八郎太郎は冬を中心とした年の半分を田沢湖で残りの半分の期間を八郎潟で過ごすようになります。この為、田沢湖は冬でも凍り付くことがなく八郎潟は主が半年間不在となるので年々水深が浅くなっていったのです。


 なお余談ではありますが十和田湖にある「乙女の像」と田沢湖の「たつ子像」は共に高村光太郎の作です。

十和田神社の光景

拝殿

十和田神社と苔 苔生した岩の上に鎮座している十和田神社の拝殿。十和田神社は水神信仰の十和田信仰の象徴でもあり、苔生した石が、訪れる観光客の目をひいていました。

境内の祠

十和田神社の祠 十和田神社境内にある祠。熊野権現と稲荷神が祀られていた。言い伝えでは十和田湖の主である「南祖坊」は熊野の地で神託を授かったとされており、熊野権現の祠には南祖坊の履いていたという鉄の草鞋が奉納されています。 

開運の小径


十和田湖 開運の小道の祠 十和田信仰の中心地である十和田神社へと続く通称「開運の小道」。御前ヶ浜から十和田神社に通じる参詣道のひとつで、道の脇の岩を彫った多数の祠に火ノ神や水ノ神といった自然崇拝の神様が安置されています。パワースポットとして紹介されることもある小径です。

 

原生林

十和田湖 原生林 こちらは休屋の駐車場と十和田神社を直接結んでいる参拝道で、道の十和田湖側は溶岩流が固まった15mほどの崖となっており両側は杉の混在した原生林はこの崖から生えています。ガイドブック等でも紹介されることがなく、休日でもこの道を通る人はまばらですが、歴史を積み上げた巨木からはなんともいえない神々しさを感じ、筆者個人的にはおすすめの道です。

十和田神社 朽ちた倒木 こちらも参拝道の光景。朽ちた巨木からいくつもの木が生えています。辺りはジブリの映画にでてくるような光景となっていますが訪れる人はほとんどいない隠れスポットです。