本堂
中尊寺の本堂は山内にある多数の寺院(最盛期は寺塔40余り、禅房300余りと伝えられていますが現在は17寺院)の中心となる建物です。現在の建物は1337年に火事により焼失したものを明治42年に再建したもので、中尊寺で行われる法要儀式祭事等のほとんどがこの本堂で行われています。
ご本尊は阿弥陀如来で、本尊の両脇にある灯籠は「不滅の法灯」といわれ、宗祖伝教大師最澄が点して以来消えたことがない天台宗の象徴的な灯で、
総本山延暦寺から分けたもの。同様の「不滅の法灯」は山形県の
立石寺にも灯されています。
また本堂正面にある山門は一関藩主であった伊達兵部宗勝の居館であった一関城より万治2年(1659年)に移築されたもので「県指定有形文化財」に指定されています。山門の構造は扉を支えている本柱とその後ろにある柱で支えられた屋根の棟の位置を、中心からずらす「薬医門形式」と呼ばれる構造で、山門正面左側には脇門も確認出来ます。これらは江戸時代に大名の城門によく用いられた構造です。
※勘違いされる方も多いようですが
中尊寺の本堂は有名な金色堂とは別の建物で金色堂は本堂の更に奥に行った所にあります。
本堂の光景
中尊寺の本堂。境内には
桜が咲き見頃をむかえていた。本堂の中ではお坊さんが読経しており、外まで読経の声が聞こえてきていまし。道行く人の1人は地元の方なのかは「平泉は今が一番良い季節」と教えてくれました。
中尊寺の山門。中尊寺への入り口は第1駐車場がある月見坂入り口と、坂の上駐車場の正面にある中尊寺山門がある。坂の上駐車場の方が金色堂や本堂に近いが料金は100円ほど高めです。駐車場の詳細は「
中尊寺駐車場」を参照。
中尊寺境内の松。山門をくぐると無数の竹で松の枝を支えている印象的な光景が見えてきます。また奥の方には梅や桜の木があり日本庭園のようになっていました。
中尊寺 本堂の本尊
本堂内に安置されている本尊の「釈迦如来坐像」。平成25年3月に新たに本尊として安置され、その記念として一般の方もお堂内に入り見学・撮影することができました。少々古い写真ではありますが、今後撮影することはできないと思いますので本サイトに掲載し続けておこうと思ってます。
中尊寺には金色堂をはじめとした実に数多くの国宝や文化財が残されていますが、これは侵略者であるはずの源頼朝の功績ともいえます。
源頼朝は平泉平定時、当時は戦勝者の当然の権利とされていた略奪を一切禁止しました。またその後も頼朝の命により中尊寺は幕府により庇護され、時代と共に衰退していくも数々の文化財は受け継がれ現在に至っているのです。
奥州藤原氏は頼朝の6代前の頼義の代から因縁ある間柄で源平合戦時も藤原氏のおかげで頼朝は本拠地である
鎌倉を離れることができず煮え湯を飲まされています。
従来よりいわれている頼朝の性格からすれば藤原三代が眠っている金色堂(奥州合戦時、四代目の泰衡の首はまだ金色堂に納められていない)など真っ先に取り壊されてもよさそうな気もしますが現実には保護されています。
これは中尊寺が形式上は時の法王である後白河院のものであった事に配慮したからともいわれていますが、信心深い頼朝が戦により廃墟となった平泉で見た仏国土の光景に感銘を受け略奪禁止を厳命した結果とも言われています。