青森県の宿 日本の観光地・宿東北の観光地・宿青森県の観光地・宿新郷村(キリストの墓)

キリストの謎と新郷村


キリストの謎
 実はイエス・キリストは21才から33才まで12年間の行動が一切記録されていません。新約聖書ではイエス・キリストは生誕時や子供の頃のエピソードが描かれたあと、次に登場するのは大人になってからでヨハネから洗礼を受ける場面で再登場します。人間としてもっとも多くのことを学び成長する20代の記録が空白となっているわけで、キリスト最大の謎のひとつとされています。竹内古文書ではこの空白の期間にキリストは来日し神道を学びそしてユダヤに帰り神道(キリスト教)の伝道活動を行ったとされています。しかし当時のユダヤではキリストの教えは受け入れられなく逆に磔の刑にされそうになった為、弟のイスキリが身代わりとなりキリストは日本に逃れ天授を全うしたというのです。新約聖書ではキリストは磔の刑にあった後、蘇ったとされていますが、竹内古文書によればキリストは蘇ったのではなく、元々難を免れ生きていたわけで、その死んだはずのキリストがマリアや弟子達の前に現れたので生き返ったと勘違いされたというわけです。ちなみにキリストがヨハネから洗礼を受け、ゴルゴダの丘で処刑されるまでの期間は2年ほど。つまりキリストが宗教家として活動した期間はわずか2年ほどなのです。

竹内古文書とは?
 竹内古文書は日本初代の天皇である神武天皇より遥か以前から日本には天皇を中心とした王朝があったとする古史古伝。古事記や日本書紀に登場する神々や人物も描かれているが内容は大きく異なる。北茨城の竹内家で保管されていたが、太平洋戦争の水戸大空襲で原本は消失したとされている。なお竹内古文書にはキリストの弟としてイスキリの名が登場するが、新約聖書ではイスキリという名前の人物は登場しない。

キリストの墓発見の経緯
 竹内古文書にキリストは日本に逃れ新郷村で天授を全うしたという記述があることを発見した武内巨磨は直接新郷村を訪れ古文書の記述をもとに2つの盛り土を発見します。この盛り土は六芒星を家紋とする沢口家が代々管理してきた土地にあったもので、昔から埋葬者不明ながら存在は知られており沢口家の言い伝えでは「遠くからやってきた偉い人が眠っているからこの墓を守れ」と伝えられ「墓所館」(ぼしょやかた)と言われていました。

新郷村とユダヤの共通点
 新郷村には他の村にはない風習がいくつか伝わっており、色々調べてみるとユダヤに通じるものが多数あることが分かってます。代表的なものを紹介すると、旧村名の「戸来(へらい)」はヘブライからくるという説、子供を初めて野外に出すとき額に墨で十字を書くこと、足がしびれるとき額に十字を書くこと、ダビデの星を代々家紋とする家があること、そして、村の祭唄の「ナニヤドヤラー、ナニヤドナサレノ」という意味不明の節回しの祭唄が伝えられていること‥ヘブライ語で解釈すると次のようになるそうです。
 お前の聖名をほめ讃えん
 お前の毛人を掃蕩して
 お前に聖名をほめ讃えん
などなるほどど思えるようなお話がいくつか伝わっています。

総括
 以上のお話は真相の程は別にして事柄自体は全て本当のお話(現時点では)です。このお話を荒唐無稽のお話とするか信憑性の高い歴史を揺るがえすお話とするかは皆さん次第です。実際現地の新郷村の皆さんもキリストが埋葬されているということは信憑性が低い事柄と認識していますが、ユダヤに通じる風習が村に根付いているのも事実です。キリストの墓の発見やキリスト祭り(慰霊祭)も元来村おこしや観光目的が起源ではありません。長い年月のどこかのタイミングでユダヤの異文化が辺境の村に迷い込み、村の文化と同化し生きずいているのかもしれません。こう考えるとミステリーの村という名前もあながち荒唐無稽なお話ではないような気がします。なおある程度古代史やキリスト教、神道に通じている方は数多くの矛盾点を感じるかもしれませんが、本ページではあえて紹介しません。前述してあるとおり皆さんで判断し浪漫に夢を馳せてみてください。
キリストの墓

新郷村にあるキリストの墓。発見当時は盛り土の状態だったが現在は十字架が立てられ墓の脇には「十来塚」と記された標も立っている。
キリストの墓
エルサレムから送られた石碑

キリストの墓と同じエリアに置かれているイスラエルのエルサレム市から送られた友好の石碑。イスラエル駐日大使の名前も記されている。
エルサレムから送られた石碑
迷ヶ平

迷ヶ平は新郷村から約20km、十和田湖まで9kmほどの所にある休養地。十和利山の登山口にもなっている。竹内文書によるとキリストはこの迷ヶ平で暮らしていたとされている。現在は少々寂れた休憩スポットとなっており、訪れる人のほとんどが山菜やキノコ採り、もしくは十和利山登山の方。

迷ヶ平
 十和利山(とわりやま)

十和利山は十和田湖の南東に位置する山。竹内巨磨によれば十和利山は5万年前に建てられたピラミッドで竹内文書には麓には壮麗な都が栄えていたとされている。麓というのがどの程度の距離を示すのか不明だが、山頂から直線距離2kmほどの所に迷ヶ平が、15kmほどの所に新郷村がある。
十和利山
新郷村及び周辺のおすすめスポット一覧
新郷村ってどんなところ? キリストの墓 間木ノ平グリーンパーク 新郷温泉館等 大石神ピラミッド キリストの祭り 新郷村とはこんな所です
キリストの謎 八戸市


     
著作権情報