ストーンサークル



万座環状列石 全景 大湯環状列石は「野中堂環状列石」と「万座環状列石」の2つのストーンサークルからなる縄文時代後期の遺跡です。遺跡の代名詞でもある環状列石(ストーンサークル)は遺跡から約7q東にある安久谷川から採れる水に濡れると美しい緑色になる石英閃緑ひん岩(えきえいせんりょくひんがん)と呼ばれる石が使われ、現在までの調査で環状列石は集団墓であることが分かっていますが環状列石内に配せられている日時計は夏至と冬至の太陽の運行を示しており、天文的な要素を持った祈りと祭りの場であるとする説もあります。
 なお環状列石に使用されている石英閃緑ひん岩は重さが平均30kgで、なかには200kg近い石もあり、これらの石を大量に運んでいることから長い年月の間、大勢の人が集団で生活していたものと考えられています。
 集落跡は数は少ないですが環状列石を囲むような形で見つかっており、他にも大湯環状列石(ストーンサークル)の周辺からは掘立柱建物、土坑、貯蔵穴等の遺構や土器や土偶、鐸型土製品といった物も出土しています。


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ストーンサークルと日時計


 大湯環状列石に2つあるストーンサークルは各々の中心部を結んだラインが夏至の日没と冬至の日の出とを結んだラインに一致します。また日時計状組石はストーンサークルの中央部にあるものと勘違いされがちですが、実はストーンサークルの内輪と外輪の間に設けられており。前述の冬至と夏至を結んだライン上に位置しています。正確には日時計中心部から環状列石中心部を見た方向が両方とも冬至の日に太陽が登る方向(逆。つまり環状列石中央から日時計状組石を見た場合は夏至の日没方向になる)になっており、このような配置の遺跡は北秋田を中心によくみられるそうです。なお日時計状組石の直径は2mほどで現在は村の長や儀式を行うシャーマンのような役割を持った人達の墓であると推測されており、発掘された実物を大湯環状列石にある2つのストーンサークル両方で見ることができます。

大湯環状列石 配置図




ストーンサークルの日時計

大湯環状列石 日時計 大湯ストーンサークル野中堂環状列石の日時計状組石。文字通り日時計の役目を果たしていたと考えられており、夏至や冬至時の太陽の運行ラインにあわせて設置されています。


日時計状組石 大湯環状列石 ストーンサークル こちらはストーンサークル館の前の出土文化財管理コーナーにある「日時計状組石」を復元したもの。



野中堂環状列石


野中堂環状列石 ストーンサークル 大湯ストーンサークルは2カ所で発見され現在その両方で発掘調査がされています。野中堂環状列石は遺跡の西側にある広大な芝生の広場にあり、外帯の径が40メートル、内帯が12メートルと二重の輪になっています。また中心付近には日時計状組石があります。



万座環状列石


万座環状列石 ストーンサークル 万座環状列石は遺跡の東側で見つかった遺跡で。外輪、内輪、日時計と石が並べられていおり。周辺には当時の建物跡や柱の跡が復元されています。

ストーンサークルは何故作られたのか?


 ストーンサークルはなぜ作られたのか、長年の謎となっていましたが近年の研究でストーンサークルを構成する配石の地下から高等動物の脂肪酸が検出されたことから人間の墓、つまり共同墓地であったとする説が有力となっています。その一方で解明されていない謎もあり、たとえば大湯環状列石の周辺では竪穴式住居跡が4つしか見つかっていません。あれだけ巨大なストーンサークルを作ったのがたった4世帯の住民達であるとは考えにくく、ストーンサークルは大湯地方で生活する縄文人達の霊場であり儀式の場で、普段は離れた場所でいくつかの集落に別れて生活している縄文人達が、身内が亡くなったり祭りの日などに各集落から集まり精神的な拠り所としていた可能性が高まっています。
 また余談となりますが大湯環状列石のような環状に石を組んだ縄文遺跡は現在までのところ近隣の遺跡では見られないのだそうです。




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