彦根城の歴史



彦根城 歴史 琵琶湖を望む高台に建てられた彦根城と均整のとれた彦根の城下町。これらはこの地を治めた井伊家の治世による賜です。本項では彦根の町のシンボルである彦根城を中心にその歴史を簡単にご説明していきます。



1601年
 関ヶ原の合戦で功のあった徳川四天王の一人、井伊直政が豊臣恩顧の大名が多い西国の押さえとして交通の要衝である彦根の佐和山城に入城。佐和山城は関ヶ原で戦った石田三成の居城であったこと等を理由に、新たに城を築く事を計画します。この時点で藩庁は佐和山城にあったことから藩の名前は佐和山藩となっています。


1602年
 井伊直政が関ヶ原合戦時の戦傷が元で死去。長男の直継が跡を継ぎ、後事を託された家老・木俣守勝もりかつ は、城の移築計画を徳川家康に諮り彦根山への移築が決定します。


1604年
 井伊直継が彦根城の築城工事に着手。当時は豊臣恩顧の大名が西方を中心に多数存在し、これらの抑えとして工事は急ピッチで行われ、江戸幕府が全面的にバックアップし近隣の藩を中心に12大名が協力します。また普請に必要な材木や石材は佐和山城や長浜城といった周辺の城から集められ、天守については大津城天守を移築したといわれています。


1607年
 彦根城本丸天守が完成。この頃藩庁を佐和山城から彦根城へ移し、佐和山藩は廃藩。新たに彦根藩として近江の地を治めていくこととなります。また彦根城周辺は湿地帯で人々が生活するには不便な土地だったので、大規模な土木工事により排水を整え低地を埋め立てて城下町の整備を進めていきます。


1614年
 大坂冬の陣で築城工事が一時中断。この時徳川家康の命により大阪の陣における井伊軍の大将は直継の弟である直孝が務めます。


1615年
 直孝の大阪の陣における戦功や直継が家臣団をまとめきれてなかった事などの理由により、家康の命により直孝が彦根藩藩主となり、直継は上野安中藩へ分知されます。また大阪の陣以降は井伊家のみで築城工事を再開します。



1622年
 表御門をはじめとした城郭が完成。城下町の整備もほぼ完了します。


1679年
 4代藩主直興が後の楽々園と玄宮園となる槻御殿(井伊家の下屋敷)を建設。


1860年
 彦根藩15代藩主で幕府の大老職であった井伊直弼が桜田門外の変で亡くなる。後に徳川慶喜が徳川15代将軍になると直弼が大老であった頃の政治をとがめ、彦根藩は石高を10万石に減らされてしまいます。このことから「明治維新」時には井伊家は譜代大名ではあるものの新政府側に味方したために、維新後に井伊家は伯爵となり彦根市長を輩出する家柄となります。


1871年
 明治政府による廃藩置県がはじまり彦根城は陸軍省の所管となる。


1878年
 明治の廃城令により多くの城が解体され廃城となるなか、彦根城は800円で売却され解体寸前だったところ、明治天皇の命により解体を免れる。


1944年
 当時の旧彦根藩当主であった井伊直忠(最後の彦根藩主だった井伊直憲の長男)が彦根城を彦根市に寄贈。


1952年
 天守、櫓、多聞櫓が国宝に指定される


1996年
 築城以来5回目の大改修が完了し、現在の姿となります。


2007年
 築城400年際が行われる



彦根城の城主

 彦根城の歴代城主は16代に渡り彦根を治めた「井伊家」。井伊直政や井伊直弼を輩出した井伊家は元々は静岡の豪族で、井伊谷と呼ばれる地域を(現在の静岡県浜松市北区)約500年間治めてきましたが、南北朝時代に南朝方についた為に没落し、北朝方の今川氏の支配下となります。1575年に徳川家康により今川氏が滅ぼされると井伊直政は徳川家康に仕え、以後数々の武功をあげやがて「徳川四天王」の一人に数えられるまでになります。関ヶ原の戦いの後、彦根藩主(正確には「佐和山藩主」)に任命され以後井伊家は約240年もの間彦根を治めていくことになります。ちなみに2017年NHKの大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公「井伊直虎(女性です)」は井伊一族の出身で(年は離れていますが直虎と直政は又従姉弟の関係にあったとされています)井伊直政の養母であり父直親の元許嫁であった人物とされています。



歴代城主

 彦根城の歴代城主は城の天守が完成した1607年当時井伊家当主であった井伊直継が初代とするのが一般的な考え方ですが、後述するように直継は後に藩主の履歴を抹消されるので、弟の直孝を初代城主とする場合もあります。
 ここら辺の経緯は諸説あるので、本項では彦根の地を治めた歴代城主を時系列的にご紹介していきます。


直政
 彦根の佐和山城に入城。新たな城の築城を計画する(彦根藩(佐和山藩)初代藩主)。


直継
 彦根城の築城に着手し天守を完成させるも弟の直孝が井伊家を継いだ時点で直継の2代藩主としての履歴は抹消され、直継は分知された上野安中藩の初代当主となります。この為歴代に数えない場合も多い人物です。


直孝
 彦根藩2代藩主で彦根城を完成させる。彦根城の実質的な初代城主


彦根藩3代〜14代藩主
 直澄・直興・直通・直恒・直治・直惟・直定・直=E直定・直幸・直中・直亮


直弼
 彦根藩13代藩主「直中」の14男で彦根藩代15代藩主。兄弟が多く庶子であった為、彦根藩の後継者からは縁遠い立ち位置にありましたが、偶然藩主継承の機会が訪れ15代藩主となります。藩主時代は藩政改革を行い名君と慕われ、1858年には江戸幕府の大老となります。折しも黒船が来航し開国か否かで揺れるなか開国を主張し「日米修好通商条約」に調印しますが、桜田門外の変で44歳の生涯を閉じることとなります。

直憲
 彦根藩最後の藩主にして彦根城最後の城主


 以上彦根城の歴代城主についてご紹介してみました。基本的に彦根城主は井伊家が務めてきたのですが、代数については直政から直孝までの家督相続や藩庁の経緯は複雑で考え方も複数あるので、その解釈は皆さんにお任せいたします。