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阿寒湖 旅行記「アイヌコタン」


 アイヌコタンとはアイヌ民俗の集落、居住地のこと。阿寒湖にあるコタンは120人ほどのアイヌ人が生活し北海道最大のアイヌコタンとして有名ですが、これは昔からのアイヌ民族のしきたりによって形成されたコタンではなく阿寒湖一帯の自然保護活動を行ってきた財団の理事長の呼びかけによって、無償提供した土地に阿寒湖周辺のアイヌ人が移住し形成されたもの。北海道でも有数の観光地である阿寒湖の観光拠点阿寒温泉郷に近い(というよりほぼ敷地内にある)ということもあって現在では観光名所化し、温泉宿や土産店、アイヌ縁の民芸品を取り扱う店が30軒ほど建ち並んでいます。

アイヌコタンとは 
 狩猟や漁業によって生活をまかなっていたアイヌ民族はサケの産卵地である河川沿岸やニシンの好漁場がある海辺近くに5戸〜7戸ほどのコタン(集落)を形成し、コタンから一定の距離内にある資源をコタンが利用できる権利をもっていた。本州から和人が移住してきてからはコタンも制度を強制的に変更され姿を消していった。現在コタンは積丹(シャ コタン)や神居古潭(カムイ コタン)のように地名として残っているが、昔ながらのコタンはほとんど残っていない。

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アイヌコタン冬の光景

冬のアイヌコタンの光景。正面に見えるフクロウはアイヌでは村を守る神様として敬われ、アイヌの神話にも神々の行いを目をパチパチさせる眺めているユーモラスな仕草で何度か登場しています。
冬のアイヌコタン
アイヌの女性達

アイヌコタンの女性達。阿寒湖アイヌコタンを歩いているとアイヌの民俗衣装を着た女性達が店先に立っている。彼女たちが本当のアイヌ人かどうかは分からないがアイヌコタンの風情を醸し出している。 アイヌの女性達
アイヌコタンの街並み

賑わう夜のアイヌコタンの街。観光客や浴衣を着た温泉客達が思い思いの店をのぞいている。中央に見えるのはオンネチセで阿寒湖アイヌコタンのシンボル的建物。

アイヌコタンの光景


コタンの街並みといっても要するに観光地の商店街なのだが建物はログハウス風のものが多く取り扱う商品も他では見ることができない伝統工芸品ばかりで観光客には人気がある。
アイヌコタンの街並み
古式武道会場オンネチセ

阿寒湖アイヌコタンの一番奥にある建物。鳥居のような建造物に巨大なフクロウの置物が乗っている。この建物の中でアイヌ民族の古式にのっとった色々な儀式が催される。
アイヌコタン
アイヌ人豆知識

アイヌ人は乱暴者? 
 自然の恵みに感謝し自然と調和して生活していたアイヌ人。そんなアイヌ人に対して江戸時代、蝦夷地の利権を幕府から守ろうとした松前藩は幕府に対してアイヌ人は凶暴ですぐに人を傷つけるから近づいてはいけない等と虚偽の報告をしていました。この為、アイヌ=野蛮人という間違ったイメージがついてしまったといわれています。江戸時代の後期には疑問に思った幕府の役人が通訳を雇って直接アイヌ人と話をしたらとても友好的で穏やかな人達だった為、驚いたという記録が残っています。

秀吉軍も驚いた
 秀吉の奥州仕置きの際に松前藩に加わったアイヌ人達は海獣の皮を頭からまとい毒矢を持ち参陣しました。その姿はきらびやかな鎧甲を身につけ槍や鉄砲で武装した秀吉軍の中では特異な存在だったと伝えられています。
 
お米が大好き
 狩猟民族のアイヌ人ですが、これは作物が育たない北の大地で生活していたことが大きな理由としてあげられ、実際は小規模ながら農耕も営んでいました。和人との交流が盛んになると「米」の味に魅せられ競ってサケやニシンと交換した記録も残っています(当時北海道で育つ品種の米はなかった)。

日本で最初にパンを食べたのはアイヌ人
 江戸時代後期。アイヌ人が蝦夷地に近づいてきた外国船の上から手招きする外国人に誘われるがまま船に乗り込み、パンとお酒(種類は分からないが、アルコールが強すぎて具合が悪くなったというから多分ウォッカやコニャック、ウィスキーといった類の酒だと思います)をご馳走になったという記録が残っています。アイヌ人は記録上日本で初めてパンを食べた人達なのです。
 当時外国人を見たことがないアイヌの人達にとって外国人は目の色が違う白毛の巨人(国籍は分からないそうですが、日本海での出来事だった為、ロシア人と推測されています)だったに違いありません。そんな巨人達に手招きされるがまま船に乗り込む度胸と好奇心の強さは恐れ入ります。
アイヌ民族について
 アイヌ人は北海道を中心に東北地方、樺太やユーラシア大陸の沿海州などで生活していた狩猟民族で東北地方にはアイヌの言葉に由来する地名が数多く残されている。江戸時代になると和人との交易がさかんになりアイヌからはサケや昆布等の海産物が和人からは米や衣類等が持ち運ばれていた。江戸時代中期から末期になると南下政策を取り北海道に度々姿を現してきたロシアに対抗するため本州から積極的に和人の干渉が始まり、明治から昭和初期にかけては多くの和人が移住してきたことからアイヌの豊かな土地は強制的に奪われたり移住させられたりし生活範囲を次第に狭められていった。現在多くの日本人はアイヌ人と和人は同一民族で平和に共存していると思っている人も多いがアイヌ民族はれっきとした先住民族であり、現在共存している歴史の裏では過去に和人がアイヌ人の文化や土地に勝手に入っていった事実があることを忘れてはいけない。
 なお遺伝子的にはアイヌ人は沖縄の人々と同様、原日本人とされる縄文人に非常に近く(現代人は縄文人と渡来人の混血が主流)、北日本各地に残るアイヌの地名が分布する地域と、平安時代の大和朝廷と蝦夷(えみし)との境界線がほぼ一致することから(現在の宮城県北部から秋田県南部にかけて)、アイヌ人=蝦夷=縄文人と考えている専門家も多くいることを付け加えておきます。
 現在アイヌの方々は日本社会のなかで普通に生活しています。旅行者のなかには「どこに行けばアイヌ人をみれるか?」などとナンセンスな質問をする人も多いそうですが極端な話、新千歳空港から札幌駅までの電車の道中でも必ず何人かのアイヌの方に出会っているはずなのです。
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