日本の観光地・宿>東北の観光地・宿>岩手県の観光地・宿 | |||||||||||||||||||||||||
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盛岡城の石垣 盛岡城最大の特徴は見事な石垣。大きさや形がばらばらの石を積み上げた石垣はきれいに均整がとれ、まさに芸術の域に達してる。この石垣は築城当時に石組み技術者集団として有名な穴太衆(あのうしゅう)の内堀頼式(うちぼり・よりのり)を高禄で招き、完成させたもの。 |
紅葉 盛岡城跡公園は紅葉の名所としても有名で下の光景は現在散策路となっている空堀から本丸と二の丸を結ぶ廊下橋方向を見たもの。きれいに色づいたカエデと石垣の調和が見事です。 |
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桜 盛岡城跡公園の桜。盛岡城公園では毎年4月下旬から5月上旬の桜の開花にあわせ桜まつりが開催され、多くの露天が軒をつらね賑やかな光景となります。またライトアップもされ夜桜も楽しむことができます。 |
盛岡城跡公園内は丁寧に手入れがなされており、初春の梅から桜、藤、紫陽花と色を通じて花々を楽しむことができます。とくに桜は本数が多く、岩手県内でも有数の桜の名所となっているのです。 |
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盛岡市の光景 盛岡城跡公園から見た盛岡市の光景。盛岡市街の光景は本丸跡までくると見ることができる。公園内は緑豊かでバラ園や藤棚などが整備されている。 |
休憩所 盛岡城跡公園にある休憩所。南部氏縁の場所だけあって休憩所も陣屋風に整えられています。この公園には宮沢賢治や石川啄木もよく訪れており敷地内には詩碑や歌碑が建立されています。 |
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盛岡城の歴史 もともと青森県東部と岩手県北を治めていた南部氏は、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣したことで、所領を安堵され、加えて、現在の岩手県中部までの領有を認めらました。領地が南方に拡大したことにより、従来の居城であった青森県三戸町ではなにかと不便が生じた為、新たな居城として、不来方(こずかた)の地に築かれたのが盛岡城です。城には徳川幕府への遠慮から、天守は築かれず、御3階櫓を天守の代用としましたが、城の完成の翌年、御3階櫓は火災で焼失してしまいます。その後1673年に再建されましたが、明治の廃城令で破却され、現在は城の建物はほとんど残っていませんが白御影石を整然と積み上げた石垣が優美な姿を見せている盛岡城跡公園(岩手公園)として市民憩いの場となっているのです。 なお不来方という地名は、縁起が悪いということから、利直により「盛り上がり栄える岡」となるよう願いをこめ、「不来方」から「盛岡」に改称されたもので、盛岡城は明治維新まで南部氏代々の居城として続き盛岡の地名も今に残っているのです。 |
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