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北淡震災記念公園・野島断層保存館 淡路島の北淡町にある「震災記念公園」と「野島断層保存館」。阪神淡路大震災の記憶を風化させない目的で震災の発生源となった野島断層を保存している公園。なおここではむき出しになった断層を見ることができるが、実際の震源地は明石海峡の海中とされています。 |
断層の割れ 野島断層の割れ。震災時に発生した割れをそのまま保存している。なお阪神淡路大震災で神戸と大阪の間は南北に3〜4m、東西に4〜5mも動いたとされています(はっきりとした数値は不明ですがおそらく前述に近い距離で移動したのは間違いないそうです)。 |
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震災メモリアルハウス 震災メモリアルハウスは野島断層の真上に建っていた家を震災当時のまま保存したもの。内部も見ることができて震災直後の様子がそのまま残されている。 |
阪神淡路大震災を予言した人 阪神淡路大震災の影に隠れてあまり知られていませんが震災発生の約半月ほど前の12月28日に遠く青森県の八戸市でも震度6を記録する地震(三陸はるか沖地震)があり年末に断水や停電の被害が発生しました。実はこの地震を予め予知していた人がおり、人々は予言が当たったと驚いていました。ところがこの三陸はるか沖地震を予知していた人が、正月が明けてしばらくすると「今度は「戸」がつく地域でさらに大きな地震が起こる」と言いましたす。八戸市の人々は年末の地震より大きな揺れが来ると恐怖におののき中には街から離れる人もいました。当時としては大地震が発生する「戸」がつく地名なんて八戸市意外に考えられなかったのです。そして運命の1月17日の朝。テレビをつけた八戸市民は変わり果てた神戸の光景を見て「また予言が当たった」と噂しあったのです。 なおこの地震を連続で予知した人は当時非常に話題になったのですがその後姿を人前に現すこともなく、またどのような経路でその人の言葉が伝わっていったのか一切不明のまま、現在に至っているのです。 |
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阪神淡路大震災の慢心と油断 阪神淡路大震災が発生するまで関西地方では大きな地震は発生しないといわれていました。この為、建物や公共交通施設の耐震基準も東日本に比べると1ランク低いレベルに設定されていました(具体的には東日本では震度6に耐えられるように設計していたのに対して西日本では震度5という感じ)。1994年にアメリカで発生したノースリッジ地震では建物や高速道路が崩壊するなど大きな被害が出ましたが、当時の日本は「日本は地震先進国で仮にノースリッジ地震クラスの揺れが日本で発生しても高速道路が崩壊することなど無い」と発言するなど地震に対して完全に慢心状態にありました。 そんな慢心を見事に打ち砕いたのが阪神淡路大震災です。阪神高速神戸線が横倒れとなり、世界でもっとも新しく世の中に存在する高速道路で一番地震に強いはずの湾岸線では桁が落橋するという被害が続出してしまいました。 阪神淡路大震災後、多くの耐震基準がみなおされ補強工事も行われました。最初から耐震基準を高いレベルに設定しておけばよかったのではないかという意見もありますが、当時としては近世にはいって巨大地震が発生していない地域で最初から耐震基準を高いレベルにするのはナンセンスな話だったのです。 原発にしろ東日本大震災の大津波にしろ災害が発生するまでは「安全だ。大丈夫」と言われ信じられてきました。これから先大事なのは私達一人一人が「絶対安全」という言葉に惑わされる事なく常日頃から災害に備えておく事なのではないでしょうか。 |
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