知恩院の七不思議



 知恩院にはお寺が公認し紹介している「七不思議」があります。この七不思議は古くから伝わるものから仏教的な教え、美術、芸術に関わるものまで様々で、訪れる人々の想像力をかき立てているのです。

 なお七不思議といっても全てを見れるわけではなく一部非公開のものもありますが、紹介できるものについては本ページで紹介していきます。なお非公開となっている七不思議の画像を確認されたい方は別途知恩院のHPを御覧下さい。


鴬張りの廊下


知恩院 鶯張り 廊下 御影堂から大方丈・小方丈へ至る約550mの廊下で、歩くと鶯の鳴き声に似た音がするため「鶯張りの廊下」と呼ばれています。鶯張りの廊下は侵入者の存在を知るための仕掛けといわれ日本古来の建造物に多く見られますが、何故知恩院の核心部ともいえる聖域にこのような仕掛けが施されているのかは不明です。一説には江戸時代小方丈に知恩院宮の御成りの間があったので警備上の目的で施されたのではないかと推測されています。

瓜生石(うりゅうせき)


 黒門への登り口の真正面にある石。知恩院が建立される前からあるとされ地表に出ているのはごく一部で石そのものは巨大で地球の中心にまで達しているも二条城まで続く通路があるともされる伝説の石です。言い伝えでは八坂神社の牛頭天王が降臨し一夜にしてこの石から蔓が延びて花が咲き牛頭天王と記された瓜が実ったとされています。道路のど真ん中にあるのですが、撤去もされず現在は記念撮影のスポットとして人気の場所になっています。


忘れ傘


知恩院 七不思議 忘れ傘 御影堂正面軒下に名工・左甚五郎が魔除けの為に置いていったとも、白狐の化身・濡髪童子が御影堂建立の際に無くなった自分の棲居を新しく作ってくれたお礼においたとも伝えられる傘で、傘は水と関係が深いものであることから関する知恩院を火災から守るものとされています。軒下という分かりにくい所に置かれていますが、実際に訪れると案内看板が設置されているのですぐに分かります。なお濡髪童子は千姫なども眠る勢至堂裏の総墓地のさらにその奥に濡髪明神として今も知恩院の守り神として鎮座しています。

大杓子


知恩院 七不思議 大杓子 大坂夏の陣で三好清海入道(猿飛佐助や霧隠才蔵と同じ真田十勇士の一人で大阪夏の陣で戦死したといわれています)が数千の兵士に飯を振舞った際に用いられたものとも、戦の際に大杓子を手に暴れまわったものともいわれる長さ2.5mの杓子で、阿弥陀仏の大慈悲ですべての人が救いとられるという一切衆生救済を表したものであるともいわれています。なおこの大杓子は有料拝観部となっている大方丈入り口の梁の上に置かれています。

白木の棺


 三門楼上に安置されている二つの白木の棺で、中には将軍家より三門造営の命を請け、命がけで三門を完成させたが工事の予算が超過したため責任をとって夫婦共々自刃したと伝えられている大工の棟梁・五味金右衛門夫婦の自作の木像が供養のために納められています。実物を見るためには三門の楼上に上がらなければならず、特別拝観時しか見ることができませんが、特別拝観の折には現在の公共工事の予算編成者の皆さんに是非とも訪れて参拝してもらいたい所です。


抜け雀


 江戸時代初期を代表するの絵師、狩野信政が描いた大方丈の菊の間の襖絵で、元々紅白の万寿菊の上に数羽の雀が描かれていましたが、あまりにも見事に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれ、現在は雀が無い菊だけの襖絵となっています。この抜け雀は非公開部分の大方丈内部にある為、実物を見ることはできませんが、別途模写が展示されています。


三方正面真向(まむき)の猫


 こちらも狩野信政筆が描いたもので、大方丈の廊下にある杉戸に描かれています。親猫が子猫をかばうためどちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるように見えるので「三方正面真向の猫」と呼ばれています。これは親が子を思う心、つまり仏の慈悲をあらわしているとされています。なおこちらも非公開の為、模写が展示されています。