和歌山城(和歌山公園)の石垣
天正時代に建築され、江戸時代に大規模な改修がなされた和歌山城は太平洋戦争時にアメリカ軍の空襲で焼け落ちてしまいました。しかし石垣はそのまま残り当時の面影を垣間見ることができます。一見同じように見える石垣も築造された年代によって個性が見られ、
天守閣付近は青石をそのまま使用した野面積みで、江戸時代に構築された外郭の石垣は美しい稜線を描く高石垣となっています。
天守閣付近の石垣

和歌山城天守閣付近の石垣。野面積みと呼ばれる積み方で不規則な積み方となっています。構築されたのは天正時代で当時は墓石なども転用されているのだそうです。

こちらは通路から天守閣を見上げた光景。人から言われるまで気がつきませんでしたが、天守閣付近の石垣はお堀や外壁といった他の箇所の石垣に比べると少々乱雑に見えます。
お堀の石垣

和歌山城のお堀の石垣。現地の方の説明ではこの石垣は「打ち込みハギ」と呼ばれる積み方で、大きな石の隙間に小さい石を詰め込んでいく工法。きっちりとタイルのように敷き詰められた石垣は「切り込みハギ」と呼ばれています。