三内丸山遺跡の復元構造物



 三内丸山遺跡では発掘された遺構をもとに住居跡や大型構造物が復元されています。しかし当時の様子を詳しく記されたものがあるわけではなく、あくまで現代人の想定による復元物です。集落も円形状に発見されていますが、これは当初野球場として開発した経緯から球場の形で発掘されただけのことで実際どのくらいの大きさなのか検討もつかないというのが現状なのだそうです。
 よく知られているようで実はあまりよく分かっていない。これが三内丸山遺跡をはじめとする縄文遺跡群なのです。



三内丸山遺跡復元模型

三内丸山遺跡 復元模型 縄文時遊館にある三内丸山遺跡の復元模型。当時は海岸線に集落が形成されていたとされており、模型の上側(北側)はすぐ海でしたが、現在の海岸線は三内丸山遺跡から7kmほど北にあります。

 
大型建造物

三内丸山遺跡の大型建造物 三内丸山遺跡で想定復元されているの大型建造物。手前から順に「大型掘建柱建造物」「大型竪穴住居」「高床式倉庫」と並んでいます。これらは公開されている発掘現場の一番奥にあり遺跡を象徴する建造物となっています。


堀立柱建物(高床倉庫)


 遺跡の北側に整然と並んでいる堀立柱建物は高床倉庫であると考えられています。高床倉庫とはネズミの害から食料を守るために床が高くなっている倉庫で、皆さんも教科書で稲作が始まった弥生時代に作られたと習ったと思います。この高床式倉庫が縄文時代にあったということは生産性の高い生活(狩猟だけではなく簡易な栽培も行い食料を加工、貯蔵していた)を営んでいた証拠のひとつであり、従前まで住む場所を点々とする狩猟民族と考えられていた縄文人に対する常識も大きく塗り替えられることとなるのです。



堀立柱建物(高床倉庫)

堀立柱建物(高床倉庫)  三内丸山遺跡にある堀立柱建物(高床倉庫)。ネズミ等の害から食料を守るため高床式の倉庫だったと考えられており、3棟が復元されています。なお内部は自由に見ることができる(現在は傷みがひどく一部立ち入りが制限されています)。

高床式倉庫の入口

三内丸山遺跡の高床倉庫と観光客 三内丸山遺跡にある堀立柱建物(高床倉庫)の入り口。この日は中に入ることはできなかったが、床に開いた入り口から内部をのぞき込む事ができました。ご覧のように入り口部分には足場となる丸太が建てられています。

高床倉庫の内部

三内丸山遺跡 高床倉庫の内部 堀立柱建物(高床倉庫)の内部の光景。5000年前はこのようなネズミを防ぐ高床式で風通しの良い倉庫に穀物などを保管していたと考えられています。 

堀立柱建物と墓地

 三内丸山遺跡は海に続く道沿いに多くの埋葬跡が発見されています。本ページで紹介している高床式倉庫と推測される建物は、この多くの埋葬者が眠る海へと続く道の入り口で発見されています。この為、この建物は埋葬に関する道具の保管庫、もしくは儀式を行った場所ではないかという説もあります。現在までの研究調査で縄文人には死者を弔う風習があったことは確認されており今後のさらなる調査結果が待たれるところです。


大型堀立柱建物


 三内丸山遺跡の特徴のひとつとしてあげられるのが「巨大な建造物」です。当時の青森県は気候が温暖で建物の材料となる栗の木も巨木が容易に手に入ったと考えられています。なお発掘された柱の跡から相当巨大な建造物であった事は想像できますが、実際どのような建物が建てられていたかは不明です。


大型建造物

三内丸山遺跡の大型堀立柱建物 三内丸山遺跡にある大型堀立柱建物。三内丸山遺跡を象徴する建物であるのですが、具体的な使用目的等ははっきりと分かっていません。ただ場所が当時の海岸線であることから、漁に出た船の目印(現在の灯台のようなもの)や魚の群れを見つけるための施設ではないかと推測されています。なお大型堀立柱建物は発掘した木の直径をもとに作られたあくまでも想定の復元物です。

大型堀立柱建物と高床倉庫 三内丸山遺跡にある大型堀立柱建物と堀立柱建物(高床倉庫)。直径1mの栗の木を6本組み合わせた2種類の堀立柱建物は三内丸山遺跡のシンボル的構造物です。

三内丸山遺跡 大型堀立柱建物 こちらは大型堀立柱を左の光景とは反対側から見た光景。栗の木は伐採当初は柔らかく加工しやすいが、時間が経つと固くなるそうで、写真のような建造物は縄文人の技術でも時間を要しますが十分建設が可能とされています。

大型堀立柱建物跡

三内丸山遺跡 大型堀立柱建物跡 実際の大型堀立柱建物跡。直径・深さ共に2mの柱の跡が4.2m間隔で6箇所見つかり穴の中には直径約1mの栗の木の残っていたそうです。他の遺跡にくらべて規模が大きく当時も村を象徴する建物だったと考えられています。

三内丸山遺跡 栗の木 こちらは上述の大型柱建物跡から見つかった栗の木。ガラスの筒に保管されさんまるミュージアムで展示されています。調査の結果、栗の木は樹齢100年で直径は1mほど、表面は腐りにくいように火で焦がした跡がみられます。

大型竪穴住居


三内丸山遺跡 大型竪穴住居 三内丸山遺跡にある大型竪穴住居(想定復元)。長さ32m、幅9.8mで三内丸山遺跡の中では最大の規模の建物。共同作業所、集会所、共同家屋等色々な説があります。

大型竪穴住居の内部

三内丸山遺跡 大型竪穴住居の内部 三内丸山遺跡にある大型竪穴住居の内部。中は広く大人でも数十人はゆうに入れます。5000年前この建物の中で縄文人達はなにをしていたのであろうか。建物内部にいると想像力がかき立てられます。

大型竪穴住居跡の特徴

 大型竪穴住居跡(実際住居だったか否かは判明していません)は広さが80坪で、整然と並べば人が200人近く収容可能な施設です。特徴としては、一般的な竪穴式住居同様地面を1mほど掘り下げて建てられており、地面を掘り下げていることから地熱により冬でも比較的温かいという特徴を持っています。その一方で高床式倉庫とは異なり湿気が発生したり動物、昆虫の侵入が容易な為、倉庫の類であることは考えにくいとされています。以上のことから大型竪穴住居跡は人々の共同生活の場であった説が有力視されています。


竪穴住居(集落の復元模型)


三内丸山遺跡 竪穴住居跡 三内丸山遺跡にある竪穴住居(想定復元)。地面を掘って床をつくり中央には炉が設けられています。竪穴住居跡はこれまで500棟ほどが調査されており、当時は最大で500人ほどが集団生活をしていたと考えられています。 

三内丸山遺跡 竪穴住居と観光客 竪穴住居(想定復元)の中を覗く観光客。中には自由に入ることができますが(最近は傷みが目立つようになり立ち入り禁止の竪穴住居もいくつかあります)。入り口は狭く、人一人通るのがやっとですが、中は地面が掘られており意外と広くなっています。

土葺きの竪穴住居跡 こちらは土葺きの住居跡。従前までは保湿性の高い茅葺きや樹皮葺き説が主流でしたが、近年は土葺き説も取り上げられるようになり、実際土葺きの住居跡も発見されています。

竪穴住居の内部(想定復元)

三内丸山遺跡 竪穴住居の内部(想定復元) 三内丸山遺跡 縄文時遊館にある竪穴住居の内部を想定復元したもの。土器や木の実等が置かれており、5000年前の生活様式がうかがえます。

竪穴住居の中 こちらは三内丸山遺跡にある竪穴住居(想定復元)の内部。土を掘り下げ、真ん中に炉が設けられています。内は外からは想像がつかないほど広く天井も高い。大の大人が立っても天井までは余裕があります。