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札幌時計台「旧札幌農学校演武場」 札幌市の時計台。北海道大学の前身となる「旧札幌農学校演武場」として明治11年に建てられた。演武場時代は新渡戸稲造、内村鑑三、宮部金吾といった日本の発展に貢献した人物達もここで学んだ歴史がある。ちなみに札幌時計台の正式名称は「旧札幌農学校演武場」。 |
札幌市役所方面から見た札幌時計台。ハイセンスなビルが立ち並ぶ札幌の街の一角にポツンとひとつレトロな建物が建っている。現在は資料館として開放されており、札幌市のシンボル的建物となっている。 |
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ライトアップされた札幌時計台 ライトアップされた札幌時計台。夕方以降になると照明が灯されライトアップされる。建物自体は小さく周囲の木々や街路樹によって遠くからは見えにくいが、うす明かりに浮かび上がる白い建物はメルヘンチックな感じがする。 |
札幌時計台と街路灯。時計台のイメージに合わせたのかレトロな感じの街灯が設置されており、この一画だけ明治時代から時間が止まっているように感じる。なお時計台の照明は2014年からLEDを用いた省エネ照明となっている。 |
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札幌時計台とライラック 札幌時計台とライラック。札幌市の木として有名なライラックは大通公園にも多数植えられており、特に札幌時計台周辺はライラックの密度も濃く知る人ぞ知る隠れスポットとなっている。 |
展示室 札幌市の時計台内の展示室。主に札幌農学校時代の資料や模型などが公開されている。また新渡戸稲造などの有名な卒業生に関する資料も展示されていた。 |
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札幌の時を刻み続けた時計台 現在札幌の時計台は三方を高いビルに囲まれ、まさにビルの谷間に埋もれてしまっているような状態となっています。この為、時計台が鐘の音が届く範囲も限られていますが、昔は札幌市街地全域に音を響かせ時を知らせていました。1971年より5期20年に渡って札幌市長を務めた故板垣武四氏は時計台について次のように記しています。 「夜になると時計台の鐘の音が私の家まで聞こえてきました。風に乗って、或る夜ははっきりと、或る夜はかすかに届いてくる音は不思議なほど澄んでいたような気がします。時計台と私の家とでは直線にしても2qほどあったのですから恐らくその頃は市街全域に響いていたのでしょう。正に時計台はすっぽりと札幌の街を包み込んでいたわけです。時計台の鐘の音は単に時刻を知らせているだけでなく、札幌に生きる人達や札幌を訪れた人達に愛や優しさをしらせているのだと私は思います」 また札幌市民憲章には次のような文言があります。「わたしたちは、時計台の鐘のなる札幌の市民です」 ビルの谷間に埋もれてしまっても札幌市民から愛され続けられる時計台。その理由は札幌の街が生まれたときから時を知らせ続けてきたと共に人々の生活の一部であった事があるのではないでしょうか。 |
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