日本の観光地・宿>東北の観光地・宿>青森県の観光地・宿 | |||||||||||||||||||||||||
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日本中央の碑 青森県の東北町にある日本中央の碑。展示館は国道4号線沿いにあり、何気なく入ってみたら平安時代から現在に至るまで多くの人が探し求めた碑である可能性が高いミステリアスなものであることが分かり少々驚いてしまった |
展示室 日本中央の碑が展示されている展示室。以前は小さな祠に石碑が納められていたのだが平成7年に立派な展示室が作られた。室内には日本中央の碑の他、古代東北の資料が展示されている。 |
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駐車場 日本中央の碑歴史資料館。国道4号線沿いにあり、青森市方面から来る場合、みちのく有料道路の入り口手前にある。なにも知らない人が青森県の片田舎で「日本中央の碑」という看板を見ると驚いてしまう。 |
千曳神社(ちびきじんじゃ) 青森県内にある神社の中ではもっとも古いと言われている千曳神社。一昔前までは「天魔林」と呼ばれた森の中にたたずんでいる。日本中央の碑は千曳神社のすぐ近くで見つかっており、この両者はなんらかの関係があるものと推測されている。 |
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日本中央の碑と千曳神社 日本中央の碑が発見された千曳神社は七戸町菩堤木にある神社で坂上田村麻呂の建立と伝えられています。祭神は八衢比古(やちまたひこ)と八衢比売(やちまたひめ)の夫婦神。外部から侵入する悪いものを防ぐ神様で家内安全や旅の安全祈願などのご利益があるとされています。 千人で引っ張っても動かない石の精を村娘のつぼ子が一人で運んだという言い伝えが残され、これが「千曳」という名前の由来になっています。また明治天皇が御旅行の際に訪れたこともありなにかと逸話の多い神社です。 このほか坂上田村麻呂や千人で引っ張っても動かない石の精、それと引っ張った娘の名前「つぼ子」など日本中央の碑(つぼのいしぶみ)に通じる言い伝えが残されていることから「日本中央の碑」となんらかの関係があるのではないかと推測する研究家もおおい神社です。 |
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