東寺の五重塔



 五重塔は東寺の正門である「南大門」をくぐって右側、金堂の南東に建つ日本に存在する古塔の中でももっとも高い塔です。京の町中に凜と立つ五重塔は京都のシンボルとして親しまれています。最初の建設に着手したのは826年とされ、その後ほかの伽藍同様焼失と再建を繰り返し現在の塔は5代目となっています。塔の内部は普段は非公開となっています、金剛界四仏が安置され壁には真言八祖像が描かれています。 

五重塔


東寺 五重塔 東寺の五重塔。京都のメインストリートを車で走行していると突然視界に入ってくる。まさに京都を象徴する光景のひとつ。なお東寺の五重塔は高さ55mほどあり国内で一番高い。 塔内には弘法大師空海が唐より持ち帰った仏舎利(釈迦の遺骨)が納められているそうです。
東寺の五重塔 東寺の五重塔を北側から見た光景。各階の屋根の隅からはロープのような物が垂れ下がっていますが、これは後日で調べてみると塔先端に取り付けられた避雷針から地中にのびているアースなのだそうです。五重塔は創建以来度々落雷による火災で焼失の被害にあっています。

五重塔と伏見稲荷大社


 弘法大師空海に東寺が下賜されたとき境内にあった建造物は金堂のみだったと伝えられており、空海は金堂に次ぐ仏教施設として五重塔の建設に着手します。しかしいかんせん1200年ほど昔の事で資材も労働力もあらゆる物が不足し五重塔が完成したのは空海が没してから50年ほど経ってからのことです。生前の空海は工事の遅れに手をこまねいていたわけではなく京都東山で良い木材を見つけ朝廷に木材運搬の協力を願い出たりしています。
 このように当時としては未曾有の大工事であった五重塔建設ですが、不足しがちな木材については伏見山から狩り出し塔を完成させてます。これがお稲荷様を怒らせてしまったのか時の天皇である淳和天皇は病気となり、朝廷は謝罪の意味を込めて伏見稲荷のお稲荷様に従五位の下の位を授けるというエピソードが残されています。
 このように東寺の五重塔建設には伏見稲荷大社が深く関わっており、以来互いに深く結びつき現在にいたっているのです。