元興寺(がんごうじ) 拝観料・歴史



 元興寺は歴史をさかのぼれば、もともとは蘇我馬子が飛鳥の地に建立した「飛鳥寺」です。平城遷都にともなって奈良の地に移り、寺名も元興寺に改められました。以後南都七大寺院のひとつとして栄え当時は現在の奈良町ほぼ全てを含む広大な寺域を有していましたが、都が京都に移ったのを機にだんだん衰退し、室町時代には火災で多くの伽藍を焼失してしまいました。それでも今に残る極楽坊や収蔵庫に納められた五重小塔や聖徳太子坐像、極楽曼荼羅などは歴史的に貴重な文化財であり1998年には「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産にも登録されました。


拝観料
 大人500円、中高生300円、小学生100円  ※20名以上で団体割引あり

参拝時間
 午前9:00〜午後5:00(ただし入門は、午後4:30まで)

駐車場
 無料駐車場あり。バス2台、乗用車12台

アクセス
 近鉄奈良駅から徒歩15分(レンタサイクルを利用すると便利です)。バス 福智院町下車、徒歩5分
 JRなら駅から徒歩20分。バス 田中町下車、徒歩5分

地図で場所を確認する→ 奈良県奈良市中院町11番地

公式HPhttp://www.gangoji.or.jp/  


元興寺の妖怪


元興寺の妖怪 元興寺にはその昔、「元興寺の鬼」とも呼ばれた妖怪が現れたと伝えられており、一説には全国に伝わる妖怪「がごぜ」の由来であるとされています。
 この元興寺の妖怪。平安時代の説話集である「日本霊異記」に記されている妖怪で、ネットで調べればすぐに分かりますが本項でも簡単にご紹介しておきます。

※ 写真は江戸時代後期の画家 鳥山石燕によって描かれた「元興寺の妖怪」。


 時は6世紀後半 敏達天皇の時代のお話。尾張の農夫が農作業をしていると雷神が落ちてきてました。農夫はその雷神を助けるとその恩返しとして雷神のような剛力を持った子供を授かりました。その子供はやがて元興寺の童子となりますが、時を同じくして元興寺では毎晩子供が殺される事件が続いており「妖怪の仕業である」と人々は恐怖に打ち震えていました。そこで童子は自分が妖怪を退治すると言い、夜中に妖怪を待ちかまえ、現れたところを髪をつかんで朝まで引きずり回しました。妖怪は頭髪を引き剥がされ血だらけとなって逃げていったので、その血痕の後をたどって行くと、以前元興寺で働いていた無頼な下男の墓まで続いていました。つまりこの下男の死霊が妖怪となって現れていたわけで、以後子供が殺される事件はおこらなくなりました。

 以上が元興寺の妖怪に関するお話ですが、登場する童子は後にも怪力で活躍をし、道場法師となり日本霊異記に登場しています。
 また道場法師の孫娘も怪力の持ち主だったと伝えられており、こちらは今昔物語に登場しています。
 なおこのお話は都が明日香地方にあった頃のものですから、妖怪が出没した元興寺も現在の場所ではなく奈良に移転する前、つまり明日香の地にあった頃のお話です。

境内の光景


奈良町の元興寺  歴史的に日本最古の寺院のひとつといわれる元興寺。現在残る元興寺はかつての僧坊・極楽坊が鎌倉時代に独立したもので屋根の瓦は飛鳥から運ばれたものといわれ日本最古の屋根瓦で太陽の光を浴びて様々な色合いをみせてくれます。

極楽坊 地蔵会万燈供養

極楽坊 地蔵会万燈供養 万燈供養は元興寺境内で8月23・24日に行われる供養行事です。お皿の上に油と灯芯となる縄に火がつけられ、境内から掘り起こされたとされるたくさんの石仏の前に並べられます。23日は夜店も出店し子供と行っても楽しめます。なお万燈供養期間中の閉門時間は21時となっています。

 写真の光景は地蔵会万燈供養の光景で、万燈の脇に石仏と桔梗の花が見えます。




まだまだあります奈良県の見所一覧


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