パワースポット諏訪大社のご利益



 日本でもっとも古い神社のひとつとされ、長野随一のパワースポットとしても知られている諏訪大社。諏訪大明神として諏訪の地のみならず全国の方々から広く信仰を集める全国に1万以上ある諏訪神社の総本社です。
 この諏訪大社は諏訪湖を挟んで4つの社が鎮座しているという特殊性や、有名な御柱祭や鹿の頭が添えられる奇祭 御頭祭など他の神社では見られない伝統や風習を有しており、これらも相まって諏訪大社の神秘性をより深いものとしています。
 パワースポットとして諏訪大社の効果やご利益を知る上で、祀られている祭神や起源等を理解するのは大変重要なことです。そこで本ページでは諏訪大社の祭神や起源をご説明したうえで、具体的なご利益やパワースポットと呼ばれる所以をご紹介していきます。



祭神


 諏訪大社では4社全体で建御名方神 (たけみなかたのかみ)、と妻である八坂刀売神 (やさかとめのかみ)を祀っており、その上で

【上社本宮】 建御名方神 (たけみなかたのかみ)
【上社前宮】 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)
【下社秋宮・下社春宮】八坂刀売神(主祭神)、建御名方神、八重事代主神(配神)

を祀っています。少々ややこしいですが要約すると上社の主催神は建御名方神で下社の主祭神が妻である八坂刀売神になるわけです。ただし諏訪大社としての公式な見解としては「4社とも同じ祭神。総じて諏訪大明神」となっています。なお凍結した諏訪湖の氷が堤状にせり上がる自然現象「御神渡り」は建御名方神が妻である八坂刀売神に会いに行く為に湖を渡った跡であると伝わっています(諏訪湖伝承)。


建御名方神

 建御名方神 (たけみなかたのかみ)は出雲神話で有名な大国主命(大黒様)の息子です。大国主命の国作りによって豊になった地上の国を見て、天界の天照大御神は地上の国を自分の息子に譲るように迫ります。この時最後まで反対したのが建御名方神ですが、天照大御神が使わした武神 建御雷神との力比べに敗れ信濃国諏訪湖まで敗走します(この時の力比べが相撲のはじまりとされています)。建御雷神は諏訪まで追いかけてくるのですが、建御名方神は諏訪の地から2度と出ないと誓い4本の柱を立て外に出ないようにしました。これが諏訪大社の始まりであり4本の柱が今も諏訪大社に伝わる御柱祭の起源とされています。なお大国主命は建御名方神が敗れたのをみて出雲に自分が住む高い宮殿を建てることを条件に国を譲り、地上の国は天界に平定されることとなります。この時建てた宮殿が後の出雲大社で、国譲りの後に地上に降りてきた天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は今の天皇の祖先とされています。
 


八坂刀売神

 八坂刀売神 (やさかとめのかみ)は建御名方神の妃神で古事記や日本書紀といった記紀神話には登場しない諏訪固有の神様。



八重事代主神

 八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)は建御名方神の兄で事を知り言を代弁する「知恵の神様」といわれています。出雲神話では父である大国主命が建御雷神から国譲りを迫られた際に答えを渋った父の代わりに国譲りを承諾します。しかし弟である建御名方神は承諾しなかったので建御雷神との力比べとなり諏訪大社の起源へと繋がっていきます。





諏訪大社の祭神について

 諏訪大社の祭神については、本来の祭神は出雲系の建御名方神ではなく諏訪地方の先住民達が信仰する土着の神々であり、これらが建御名方神と習合・混同し現在の形になったという説があります。理由としては諏訪大社の神事や祭祀は他の一般的な神社のものとは異なり土着信仰に関わる様式であること、古代信濃国は大和と先住民との境界に位置していた考えられる事などがあげられます。また先に作られたとされている上社が狩猟的な側面を持っているのに対して後から作られたとされる下社が農耕的な側面を持っているのも大きな謎のひとつで、狩猟的=先住民(縄文文化)、農耕的=大和(弥生文化)と考え、諏訪湖が文化の融合点だったのではないかと推測もされます。
 この他諏訪地方は縄文遺跡が数多く発見されており、最近の研究で稲作を中心とした弥生文化が一番最後に伝播した地域であることが分かったことから、建御名方神=出雲系(縄文文化)、建御雷神=大和系(弥生文化)と捉まえ建御名方神が建御雷神と力比べを行い諏訪まで敗走する神話は弥生文化が日本中に伝播していく様子を描写したものではないかとする説もあります。


※上記は数ある仮説の中の1つであり、真相については謎が多く、今なお大勢の専門家の方々が研究されています。



パワースポット


 諏訪大社がパワースポットと呼ばれる所以として同格の4社をもって「諏訪大社」としていることや、御柱祭や動物の頭を備える御頭祭といった他では見られない風習、信仰が伝わっている事に加え、諏訪大社の鎮座する位置が風水的、地質学的にも特異であることがあげられます。この風水及び地質学根拠=パワースポットという考えは科学的に根拠のないものではありますが、その自然の圧倒的なスケールや諏訪大社が創建されたのが天文学や地質学がまだ原始的であった古代であることなど勘案すると改めて考えさせられてしまいます。
 本項では諏訪大社がパワースポットと言われている上述の根拠を簡単ではありますがご説明していきます。なお諏訪大社の属性は「水」といわれており、属性の考え方につきましては別途「パワースポットの属性」のページをご参照下さい。



諏訪大社がパワースポットと呼ばれる由縁


諏訪大社 パワースポット 地図


・本州を東西に分割する大断層「フォッサマグナ」の西側の境界線である糸魚川・静岡構造線と、南西日本を縦断する日本最大級の断層である「中央構造線」の交わる場所に鎮座している。


・中央構造線上及び周辺には諏訪大社の他に伊勢神宮高野山、石鎚山、剣山といったパワースポットと呼ばれる場所が点在している。


・日本三霊山の富士山と立山を結ぶレイライン上に鎮座している。


・建御名方神と力比べをし、勝利した軍神・建御雷神が祀られている鹿島神宮は諏訪大社の真東にある。つまりお互いの東西ライン上に鎮座している。



 以上ですが皆さんはどう感じたでしょうか?レイラインや東西ラインというものはいくらでもこじつけが可能であるとして否定的な方も多くおります。しかしフォッサマグナと中央構造線の交差部に位置しているという事実はなにか不思議なものを感じざるを得ないというのが筆者の正直な感想です。



万治の石仏

万治の石仏 諏訪大社の下社春宮から川を渡り少し歩くと、高さ2メートル程の大きな石仏が見えてきます。この石仏は「万治の石仏」と呼ばれ古くから地元の方のを中心に信仰を集めていたのですが、メディア普及と共に広く知られるようになり、やがて観光客の方も訪れるようになるパワースポットとして認知されるようになりました。


由来 
 江戸時代の頃、諏訪高島藩主が下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を石工の命じ、命を受けた石工がこの地にあった巨石にノミを入れたところ血が流れ出しました。その石工は驚いて石に阿弥陀如来を刻んだと伝えられています。


参拝方法
1.正面で一礼し、手を合わせて「よろずおさまりますように」と心で念じる
2.石仏の周りを願い事を心で唱えながら時計回りに三周する
3.正面に戻り「よろずおさめました」と唱えてから一礼する


諏訪大社のご利益


ご利益
 農業・漁業・海の守り神、勝負、開運、縁結び・子授け

 古くから信仰を集めている諏訪大明神は水や風といった自然を司る竜神信仰であり、海や農業、狩猟・漁業の守り神として信仰を集めてきました。歴史のある港町に諏訪大明神が祀られているのは、水の守り神=海の守り神として信仰されてきたことに由来します。
 また諏訪大社の祭神である建御名方神は鹿島神宮の祭神である建御雷神、香取神宮の祭神である経津主神(ふつぬしのかみ)と共に軍神として多くの武人達から崇拝されてきました。
 諏訪大社を崇拝して勝利を勝ち取ったり天下を治めた人物としては坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康等がおり、神功皇后の三韓出兵の際にも神威を発したといわれています。
 余談となりますが、山梨県立博物館に所蔵されている武田信玄像は最も有名な武田信玄像のひとつとして多くの方に馴染みがあると思いますが、その武田信玄像で身につけている兜は諏訪法性兜は諏訪大明神を表したものですし、出陣の際には「南無諏訪南宮法性上下大明神」と諏訪明神の名を記した神旗を掲げて本陣にも立てていました。
 この他、夫婦で祀られていることから、縁結びや子授けのご利益などもあるといわれています。