中尊寺の月見坂
月見坂は樹齢樹齢300年の老杉や様々な祠や社が建ち並んでいる中尊寺の参道です。特に朝靄が漂う早朝の月見坂は厳かな雰囲気を醸しだし歩いていると心が洗われる気分になります。
また月見坂は
国道4号線(2014年のバイパス完成により県道300号線となりました)県道300号線に面した
第1駐車場のすぐ脇にあり、駐車場から本堂に続く坂道です。お参りする際はこの坂道を登って行くわけですが、坂は800m程続いており、足腰の弱い方には少々キツイかもしれません。
しかし月御坂はその昔どんなに偉いお坊さんでも車から降り徒歩で登っていったとされる神聖な坂道で中尊寺を代表する観光スポット。出来ることなら一度は散策してもらいたいスポットです。
月見坂の光景
以下に中尊寺の表参道である月見坂の光景をご紹介します。
中尊寺への続く月見坂。途中にはそば屋、お茶屋等の小店が並ぶ。なお写真は
中尊寺本堂方面から駐車場方面に向かって撮影したもの。
月見坂中腹の光景。月見坂は
駐車場から
金色堂、
白山神社へと続いており。周囲にある笹や竹、そして杉の木が良い雰囲気を出しています。
東物見
月見坂途中にある東物見からの光景。北上川及び眼下の北上平野が見渡せます。眼下に見えている川は北上川で、よく衣川と間違える人がいますが有名な衣川は左手の方にある小さな川でここ東物見からは見ることはできません。なお東物見周辺には月見坂から別れた小道から行く事ができます。
月見坂のお堂
この項では月見坂沿いに建てられている各お堂についてご紹介していきます。
薬師堂
第1駐車場から本堂に向かって月見坂を登っていくと左側に見えてくる。一瞬庫裏(住職やその家族が住む場所)かと勘違いするほど生活感があふれる社でした。
※中尊寺の薬師堂は
奥州藤原氏の祖である藤原清衡公が中尊寺境内に建てた40あまりの堂塔のひとつ。
もともとは別の場所にあったと伝えられていますが明暦3年(1657年)に現在地に建立されました。
堂内には慈覚大師作と伝えられる薬師如来が安置され脇仏として日光菩薩、月光菩薩が安置されています。また薬師如来の分身または化身とも言われる十二神将も併置されています。
薬師如来は薬師瑠璃光如来ともいわれ、祈願すれば病を癒す御利益があるとされていますが、中尊寺では盲僧信仰として広く信仰され、薬師堂とは別に目の御利益に特化した
峯薬師堂が建てられています。
地蔵堂
中尊寺の地蔵堂。本堂の隣にあり、北上川を眺める事ができる高台の上に建てられています。この地蔵堂にはご覧のようにおみくじや御札がたくさん飾られています。
※地蔵堂とは地蔵菩薩をまつったお堂のこと。
地蔵菩薩
一般的には「お地蔵さん」、「お地蔵様」と呼ばれ、庶民には最もなじみの深い菩薩様。「錫杖(しゃくじょう)」と「宝珠」を持って道ばたや境内に立つ姿は誰でも一度は見たことがあるのではないでしょうか?
釈迦の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救済するといわれ、苦悩の人々をその無限の大慈悲の心で包み込み救う菩薩様ですが「子供の守り神」としてもよく知られ、お地蔵様には子供が喜ぶお菓子が供えられている光景をよく目にします。
弁慶堂
中尊寺をはじめとして
平泉町には弁慶にちなんだ史跡が多数存在し、弁慶堂はその最たるものです。なおこの弁慶堂はお堂の中に立ち入る事ができ、訪れた観光客達が楽しんでいました。
※弁慶堂は奥州藤原氏が治めていた平安時代は五方鎮守のため火伏の神として勝軍地蔵菩薩を本尊として祀り愛宕宮といわれていました。その後文政9年(1826年)に再建され、傍らに義経公と弁慶の木像を安置されたと云われています。現在安置されている弁慶像は主君義経のために最期まで奮戦し衣川で立往生した姿になっています。
八幡堂
中尊寺の八幡堂は月見坂の入り口付近にあり、茂みの中にひっそりとたたずんでいます。
※八幡神はやおよろずの神々の中で最も早く仏教にとけ込み、仏教では八幡大菩薩と呼ばれています。祭神を応神天皇とすることから皇室の祖神、国家の守護神、源氏の氏神として八幡宮は諸国に造建され広く信仰されています。
中尊寺での創建は天喜5年(1057年)当時陸奥守であった源頼義と子の義家が俘囚の長である安倍氏を討つ(
前九年合戦)為、中尊寺境内月見坂で戦勝祈願した事が始まりとされます。
なおこの時、阿倍一族の中には奥州藤原氏の祖となる藤原経清(妻が阿倍氏出身で阿倍氏の頭領 安倍貞任とは義理の兄弟)がおり、経清の子供が後に奥州藤原氏の初代藤原清衡となるのです。