瑞巌寺と東日本大震災
瑞巌寺は松島海岸のすぐ目の前にありますが、東日本大震災時は津波の被害を免れ、観光客や被災した住民の皆さんの避難所として開放され、多くの方々を助け復興の励みとなりました。
しかし瑞巌寺は松島海岸からほど近い所にあるのに何故津波の被害がなかったのでしょうか?実際に津波はどの地点まで押し寄せてきたのでしょうか?東日本大震災の被害から立ち直りほぼ完全復旧した今日、当時の様子をご紹介していきたいと思います。
津波の到達点
東日本大震災時の津波の到達点は地図中の
赤い印の辺り、海岸線から300mほどの所で、現地には「津波到達地点」の看板が立てられています。地図上で見てみると津波到達地点は津波で大きな被害の出た南三陸地方よりも震源地に近いのに意外と海岸線に近い事が分かります。これは松島海岸の海岸線が陸に深く湾入しているいわゆる「湾」と呼ばれる水域になっていることや湾内に浮かぶ島々のおかげで津波の威力が軽減されたからと考えられています。この為、津波が松島海岸に押し寄せる頃には数mほどの高さしか無かったと推測され、実際に松島湾に浮かぶ
五大堂は津波の被害を免れています。
松島湾の五大堂
津波の被害
上述してあるとおり津波は海岸線から約300mほどの地点まで押し寄せていますが、位置的には瑞巌寺へ通じる参道の半分くらいの場所で止まっています。
この為、家屋倒壊や人的被害はこの地域に限っては無かったものの、参道を含めお土産店が並ぶ通りは泥に覆われ、参道に林立していた杉並木も塩害により立ち枯れし、倒木の危険性のある杉約300本が伐採されました。
現在の杉並木
現在の瑞巌寺境内の杉並木の光景。中門から見た光景ですが、震災前は約1000本あった杉の木も塩害の為、約300本が伐採され現在のような光景になりました。
震災前の光景
こちらは震災前の光景。瑞巌寺側から
松島海岸方面を写しており、上の写真に対し中門をくぐる前の若干海よりから撮影していますがアングル、位置ともにほぼ同一のものです
総門から見た松島
瑞巌寺の総門付近から見た
松島。上の写真の奥に門らしき物が写っていますが、それが「総門」にあたります。こうしてみると松島海岸から瑞巌寺の本堂まで以外と距離の無いことが分かります。
避難所として開放された瑞巌寺
地震の揺れによる建物の一部損壊はあったものの壊滅的な被害は免れた瑞巌寺。震災直後は松島を訪れていた観光客や被災した住民の為に普段は一般方は立ち入りのできない修行道場が開放されました。
避難所として開放された瑞巌寺には約300人ほどが避難、寝泊まりし修行僧が食事やトイレの水くみなどの世話を行い、近所のお土産店からも食料が届けられました。この一連の瑞巌寺を含めた松島に住む方々の行動はテレビや新聞でも報道され大きな反響を呼ぶこととなります。