南禅寺 インクライン


南禅寺 インクライン インクライン(傾斜鉄道)とは貨物用ケーブルカーの事で南禅寺の南側、蹴上駅のすぐ近くにあるインクラインは明治近代化の役目を果たし現在は線路と一部の当時の施設が残されています。その昔琵琶湖と京都を結ぶ舟運ルートとして機能していた時は高低差のある蹴上と南禅寺の舟付き場を結び、船を線路上の船台に乗せワイヤーで引っ張っていました。その光景は「舟が丘を登る」と多くの見物人で賑わったと伝えられ、記録では昭和26年まで疎水船を運搬していました(通常運行は昭和23年で中止)。
 現在は日本の土木技術が近代化を迎える頃の貴重な技術遺産として遺構は残され、インクライン沿いに植えられた桜は春の京都を代表する光景のひとつとなっています。なおインクラインは上述してあるとおり高低差のある地点を結ぶケーブルですので、当然のことながら勾配はきついので(傾斜角度は24度ほど)散策の際には足元のしっかりしたものが必要となります。


インクラインの桜


南禅寺周辺の桜 南禅寺は桜の名所でもあるが、南禅寺周辺にも桜の見れるスポットはたくさんある。写真は南禅寺のすぐそばを通っているインクラインの光景。約580mのインクラインには90本ほどのソメイヨシノが植えられています。

蹴上インクライン


蹴上 インクライン 南禅寺と共に紹介されることが多いインクライン。この為インクラインは南禅寺境内を通っていると思っている方も多いようですが実際は南禅寺のすぐ南側を通っています。インクラインを少し奥に進むとそこは山城の草深い山中となり、観光雑誌などでもあまり紹介されることのない知る人ぞ知る隠れ散策コースとなっています。




本当は怖い蹴上地区


 南禅寺がある「蹴上」地区。周辺は山林に囲まれた閑静な住宅街となっており、散策にはもってこいの環境となっておりますが、実はこの蹴上地区。嘘か誠か「首の無い幽霊の姿を見ることがある」とまことしやかに囁かれております。
 このような噂があるのは蹴上という地名と密接に関係があり、蹴上はその昔は粟田口刑場と呼ばれる刑場に向かう通り道だったのです。この刑場は江戸時代以前から存在していたとされ、約15000人ほどが処刑されたと推測されています。戦国時代に天王山の戦いに敗れた明智光秀の遺体が晒されたのも粟田口刑場です。刑場自体は蹴上地区より約400mほど南東にあり、現在は粟田口刑場跡として名号碑が建てられていますが、刑場に向かう罪人達(中には無実の方もいたことでしょう)は蹴上の坂道を登り刑場に向かっていったのです。
 当時の処刑方法は非常に残忍で中には刑場に向かうのを嫌がる受刑者もおり、その人らを「蹴り上げ」て刑場に向かわせました。この故事から「蹴上」という地名が生まれたと言われています。