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五重塔と鹿 興福寺の五重塔と奈良公園の鹿。興福寺境内の南側にある「猿沢池」周辺から見た光景。興福寺は奈良公園の一角にあり、春日大社の神の使いとして保護されている奈良公園の鹿もよく姿を現す。 |
五重塔と月 ライトアップされた興福寺の五重塔と月。この日は満月だったが月は小さかった。中秋の満月の日などはタイミングがよければ日没と共に東の空から登る大きな満月が五重塔の後ろに見える。 |
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ライトアップ 猿沢池から見たライトアップされた興福寺の五重塔。正面に見える階段は六道の辻と呼ばれているらしい。ライトアップ時の猿沢池から五重塔へ続く辻は絶景ポイントとして人気がある。 |
ライトアップされた五重塔。柵が建てられている所まで近づいて真下から見た光景。ライトは白い色だったが、赤や黄色のライトでも照らされる。なお五重塔へは柵より内側には近づくことはできなかった。 |
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奈良町からみた五重塔 奈良町から見た五重塔。奈良町(ならまち)とは興福寺や東大寺の南部を差し、昔からの街並みや店が残された地域。行政上の地名ではないので地図には載って無くはじめはとまどってしまった。 |
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競売に出された五重塔 国宝に指定されている五重塔ですが、長い歴史を振り返ってみると、なんと競売に出された事実があります。それは明治時代の「廃仏毀釈」の時期です。江戸時代、お寺は幕府の保護を受け領民を監視する幕府や大名の出先機関、今で言う市役所のような役割を担い多くの既得権益を持っていました。ところが明治時代になり天皇を中心とした近代国家を目指すにいたり「神仏分離令」が発せられます。これにより神社とお寺は明確に分離され、お寺への庇護は無くなり既得権益も消滅してしまうのです。 多くのお寺は困窮しつぶれていくなか、多くの僧侶が還俗(げんぞく)し、また深刻な後継者不足に陥りました。奈良県の興福寺の五重塔が競売に出されたのもこの時期です。ちなみに落札価格は25円(現在の価格にすると11万〜12万ほどとなるそうです)。落札者は塔を燃やして発生したスクラップを売却して利益を得ようとしたそうですが、延焼をおそれた住民達の反対により(「文化財だから焼却するな!」という発想ではなかったようです)計画は頓挫し五重塔は文化財として後生に伝わっていくのです。 |
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