飯盛山 観光案内



 飯盛山は白虎隊自刃の地として有名な所ですが、元々は会津鎮護だった弁天様を御神体とする宗像神社(厳島神社)が鎮座している山として会津平の人々の信仰を集めてきました。また霊牛神社は飯盛山の麓にある神社ですが弁天様にまつわる以下のような言い伝えが残されています。


霊牛神社由来
 永徳年間(1381〜1383年)、厳島神社を建立する時に童女が赤飯を牛の背中にのせて現れ、役夫達に振る舞い、その後南に数十歩行くと姿が見えなくなった。この為その地を牛ヶ墓と、山を飯盛山と呼ぶようになった。
 時は過ぎ昭和48年に山主の枕元に神童が現れ「この地を祓い清めて弁天様の案内神を祀らん」と告げられ、案内神とは霊牛神の事と鑑みて霊牛神堂を建てたものである。



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霊牛神堂


霊牛神堂 飯盛山の参道(緩やかな方)を行くと正面に現れる神社。石碑には霊牛神堂と書かれている。建立は比較的新しく昭和になってから。飯盛山へは向かって右側の方にすすんでいくとたどり着きます。

百虎隊 十九士の墓


白虎隊十九士の墓 白虎隊十九士の墓。墓の前には常に線香が置かれ、誰でも自由にお香を供える事ができます。周辺は訪れる観光客が炊くお香の香りでつつまれ厳かな雰囲気が漂う場所となっています。



厳島神社


 厳島神社は宗像三女神を祀っている神社で主祭神は市杵島姫命。市杵島姫命は弁財天と同一とされ、全国の厳島神社でも弁財天=市杵島姫命として祀られています。飯盛山での建立は南北朝時代の永徳年間といわれています。

 宗像三女神は海上交通の平安を守護する女神として崇められ、池や泉に関係する所でもよく祀られている。また弁財天は財宝神や七福神の一人として広く信仰を集めている女神様です。

飯盛山 厳島神社 飯盛山に奉られている厳島神社。飯盛山は白虎隊自刃の地として有名になり観光名所として栄えてきましたが、元々はこの厳島神社に参拝する人を迎えるためにひらかれた山です。


飯盛山 厳島神社  飯盛山の厳島神社。白虎隊引き上げ洞門のすぐ隣にある。小高い山の中腹にありながら豊富な清流が社の周囲を流れている。その昔はここが飯盛山の中心地でした。