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那智勝浦町 旅行記「補陀洛山寺」


 補陀洛山寺は仁徳天皇(4世紀)の時代にインドから熊野の海岸に漂着した裸形上人によって開山されたと伝えられる古刹で、平安時代から江戸時代にかけて信者が観音浄土である補陀洛山へと小船で那智の浜から旅立った宗教儀礼「補陀洛渡海」の出発点として知られる寺で。なお補陀洛とはサンスクリット語で「観音浄土」を意味する音訳(チベットのポタラ宮も同じ意味)でユネスコの世界遺産にも登録されています。

アクセス:那智駅から徒歩5分。
駐車場:有り(無料)30台
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補陀洛山寺の本堂

補陀洛山寺の本堂。見た感じ新しい建物のように感じたが後で調べてみると平成2年に建て替えられたそうです。本尊は十一面観音菩薩で境内には渡海船の縮尺模型も展示されていた。

補陀洛山寺の本堂
渡海上人の墓

渡海上人とは補陀洛山寺から補陀洛渡海へ旅だっていった渡海僧達のことで、境内には墓や上人達の名前が刻まれた石碑が建てられている。記録によれば補陀洛渡海は平安から江戸時代にかけて25人の信者が船出している(注:21人という資料もある)。
補陀洛山寺 渡海上人の墓
補陀洛渡海
 補陀洛渡海とは遥か南の海の沖にあるといわれる補陀洛(観音浄土)に向けて、僧もしくは信者が小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて船出するもの。平安時代から江戸時代にかけて行われ那智湊の他、足摺岬、室戸岬などからも出船していた記録が残されておりその総数は40件以上。そのうち25件が補陀洛山寺がある那智勝浦から出船しています。
 補陀洛渡海に用いられる舟は船上に扉のない屋形が作られ、中に人が入ると出入り口に板がはめ込まれ釘が打たれ固定される構造になっていましたまた屋形の四方には鳥居が建っているのもの特徴のひとつです。この4つの鳥居は死出の四門を表しているとされています。
 補陀洛渡海は言ってみれば一種の「捨身行」で船出したら二度と戻ってこれない旅ですが、江戸時代になると住職などの遺体を渡海船に載せて水葬するという行為もみられ、捨身行から信仰へと変化していったようです。
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