三輪山(大神神社)の伝説・不思議



大神神社 三輪山の伝説 神代の時代より多くの人々の信仰を集めてきた三輪山。その歴史の古さや信仰の深さから三輪山や大神神社(三輪明神)には数多くの伝説や不思議なお話が伝わっています。
 本ページではこれら三輪山や大神神社(三輪明神)に伝わる伝説や言い伝えなどを中心にご説明していきます。


三輪山・大神神社(三輪明神)の伝説・言い伝え


 本項では三輪山に伝わる伝説について時系列的に整理しご説明していきます。なお各伝説・言い伝えに記されている年代は古事記、日本書紀に記されている内容をそのまま記したもので、日本における考古学上では疑問視されている部分も多々あります。


神話の時代

 三輪山に鎮座する大物主大神は古事記や日本書紀における出雲神話の部分で登場し、大国主神の国造りに協力する代わりの三輪山に祀るよう希望し、受諾した大国主神により奈良の三輪山へ祀られることとなります。


初代天皇 神武天皇の時代

紀元前712年〜586年
 神代の昔、活玉依姫(いくたまよりひめ)という美しい娘が夜にだけ現れる立派な男性と愛し合うようになり子を身籠もりました。しかし男性の素性が分からなかった為、男の着物の裾に麻糸を通した針を刺し翌朝糸をたどって行きました。すると糸は美和山の社で途絶えていました。活玉依姫と愛し合った男性は大物主大神だったのです。このとき姫のもとに残っていた麻糸はわずか3巻(三勾(みわ))。それでこの地を美和(三輪)と名付けたのだそうです。この活玉依姫と大物主大神との間に生まれた娘は初代天皇である神武天皇の妻となり、現代まで続く皇室の基となるのです。




第7代孝霊天皇の時代 

紀元前342年〜214年
 倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は第7代孝霊天皇皇女で古事記や日本書紀に記述のみられる女性で、聡明で未来を予言することができ武埴安彦命らによる反乱も予見したと伝わっています。
 この姫の夫は大物主大神で夜しか現れませんでした。この為姫が顔を見たいと願うと翌朝、夫は白蛇の姿で櫛箱に現れました。この白蛇をみて姫は驚いて叫んでしまったので夫は怒って三輪山へ帰ってしまいました。落胆した姫が座り込んだとき箸が局部に刺さってしまい姫は命を落としてしまいました。この姫が埋葬された墓は「箸墓」と呼ばれるようになったのだそうです。
 この墓は三輪山の麓にある箸墓古墳とされ、一説には邪馬台国の卑弥呼の墓とも言われている日本でもっとも古い古墳のひとつです。


第10代崇神天皇の時代

紀元前148年〜29年 
 崇神天皇の時代、疫病が流行り多くの人民が亡くなりました。この為崇神天皇は宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移しました(伊勢神宮のタブーのページ参照)。
 それでも疫病は収まる気配をみせなかったのですがある日、大物主大神が倭迹迹日百襲姫命に憑依し「大物主神を祀れば平らぐと」と告げ、さらに天皇にも大物主大神が夢懸りして現れ同様の事を告げます。
 この為崇神天皇は大物主神の子もしくは子孫とされる大田田根子を大物主神を祭る神主とし、三輪山を御神体とし現在の大神神社に相当する礼拝施設を設けます。
 すると疫病は収まり五穀豊穣して国は賑わったということです。
 この伝説は分かりやすく簡略化していますが、内容の正否はともかく古代日本史上重要なお話のひとつで、従前まで皇居に祀られていた「天照大神」が外に出され、後の伊勢神宮ができるきっかけともなっています。また天照大神が皇居を出て伊勢の地に鎮座されるまでの期間は約90年とされ、その間仮に鎮座されたとされる場所は各地に伝わり元伊勢と呼ばれています。ちなみに大神神社に摂社である檜原神社は最初の元伊勢とされ、元伊勢伝承発祥の地となっています。

 またもっとも古く歴史のある素麺とされる三輪素麺は大神神社の宮司の息子さん、つまり大田田根子の子孫にあたる人物が、飢饉の時に小麦粉を練って製造したのが始まりと言われています。


不思議体験


 山そのものが御神体である三輪山。登拝といい入山することは可能ですが山中では撮影も飲食も禁止されていますし、何も持ち帰って来てはいけなく、山中であったことはあまり語らない方が良いといわれています。
 この為、仮に不思議な体験をしてもむやみやたらと他に教えるような事柄ではないと思うのですが、一般的に云われている不思議体験としては以下のような事がよく言われています。


三輪山へ行きたくても行けない人がいる
 これは読んで字のごとく、三輪山へ行こうと何日も前から予定を調整していても天候が悪くなったり、仕事や家庭のスケジュールが急に入ったりして、どうしても三輪山へ行けない人がいるのだとか。
 こういう場合は神様が「登山はやめておけ」とメッセージを送っているわけですから無理して行くようなことはやめた方がいいですよね。


三輪山で転んでも怪我はなくどこも汚れなかった
 三輪山の山頂付近というのは急な坂道であると共に、非常にぬかるんでいる日も多々あります。この為、非常に滑りやすく転倒する方も多いそうなのですが、中にはぬかるみで派手に転んだのに傷ひとつなく衣服も汚れなかったという不思議な体験をされた方もいるのだそうです。


急な山道を往復したのに疲れが全然なかった
 本サイトでも度々申し上げていますが、三輪山山頂までは急な坂道が続いています。慣れてない人などは、足腰が立たなくなり救助される方もいるほどなのですが、中には普段運動などほとんどしたことがないような方なのに、山頂まで往復してもまったく疲れを感じず筋肉痛にもならない場合もあるのだとか。


怖い?

 三輪山について色々お話を聞いていくと「怖い」といよりは「不思議」な体験をされたという方がほとんどです。三輪山山頂に通じる登山道(参詣道)も急な坂道とはいえ意外と多くの方が往来しており、さほど寂しいというわけではありません。ですから個人的には必要以上に怖がるようなことは無用だと思いますが、三輪山は古来から信仰されてきた聖なる山で一般の方が入山できるようになったのは長い歴史のなかでもつい最近のことです。くれぐれも神様に対して失礼のないように決められた規則はちゃんと守り、節度と常識をもって三輪山に臨んでもらいたいと思います。


ピラミッド


三輪山 ピラミッド 三輪山の均整のとれたその形から「三輪山=ピラミッド」説は昔からよく言われていることです。
 実は日本には三輪山の他にもピラミッドではないか?とされる山がいくつかあります。有名なところでは秋田県の黒又山、奈良県の畝傍山等があります。いずれもピラミッドによく似た円錐状の山で、周辺には古代の遺跡が存在し、山自体からも祭祀に用いられたと推測される道具が出土しています。また山の内部が空洞となっている山も確認されており、古代の人々が築き上げた和製ピラミッドではないか?と推測されているわけです。
 これら和製ピラミッドについてはある程度科学的な調査も行われており、現在は「自然の山を利用して造られた祭祀遺跡」という説が有力となっています。つまり古墳のように人々が造ったのではなく、現代の人々をも魅了するその美しい山の形から自然と信仰の対象となり人々が生活するようになったというわけです。
 ただし和製ピラミッドとされる山々の周辺では発光現象が度々報告されたり、不思議な言い伝えが数多く残されているもの事実であり今後のさらなる研究・調査が待たれるところです。