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東大寺 旅行記「奈良の大仏様」


 奈良の大仏様の正式名称は「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」といい。政変や疫病、飢饉により世の中が不安定だった700年代に仏教の力により世を治めようと国家の総力を結集した大事業の末、752年に開眼したと云われています。
 現在の大仏様の周囲は回れるようになっており、大仏様の両脇には虚空蔵菩薩(向かって左側)と如意輪観音菩薩(向かって右側)が安置されており、後方には四天王のうち二体 多聞天と広目天が大仏様を守護しています(四天王の残る二体の増長天、持国天は頭部のみが飾られている)。
 また大仏殿を支える柱のうち一本は人ひとりくぐれるかどうかの四角い穴が開けてあり、子供がくぐると丈夫に育つと言う言い伝えがあり、いつ訪れても家族連れや外国人の皆さんが並んでいます。

盧舎那仏
釈迦如来もしくは大日如来の別名といわれ「偉大な光り輝くもの」という意味。国や宗派により解釈は微妙に異なっているが、仏教における根源的な仏様であることに変わりはない。
 
奈良の大仏様

奈良の大仏様。大仏殿の中にあり写真撮影可能となっていたが、あまりの大きさの為、全体を撮す事は意外と難しかった。なお大仏様の周囲は歩くことができ、後ろにも立ち入る事ができた。


奈良の大仏様


東大寺の大仏様を正面から見た光景。現在のお顔は江戸時代のもの。像の高さは14.7mほどで前に置かれた祭壇や蝋燭、飾り花なども桁違いに大きかった。なお少々お顔が大きめに見えますが、これは目の錯覚ではなく、奈良の大仏様は下から見上げた時にちょうどよい大きさとなるように4.5頭身となっているのだそうです。
奈良の大仏様
聖武天皇(701年〜756年)

 国を挙げての大事業であった大仏建立。当時の人口が450万人ほどの時代、大仏建立に動員された延べ人数は260万人ともいわれ人口の半分以上に人間が作業に携わったといわれています。しかも機械など無い時代でほぼ全てが手作業で行われたまさに国の総力を注ぎ込んた前代未聞の大工事でした。この前代未聞の大仏をつくったのは聖武天皇です。では聖武天皇とはどのような人物でいかなる人生を歩んだのでしょうか?

 聖武天皇の曾祖父は大化の改新で活躍した中大兄皇子(後の天智天皇)の弟にあたる人物で、壬申の乱で天皇の座をつかんだ天武天皇です。この偉大なる天武天皇のひ孫である聖武天皇ですが24歳で天皇に即位した際の所信表明演説は要約すると「私は微力で何もできなく、天皇になるのは恐れ多いことで、天地の神々がどう思っているかを考えると気分が重くなります。ですから皆さんどうか私を補佐して下さい」というものでおよそ時の権力者とは思えない気弱な発言でした。この気弱な天子が国を治めはじめたとたんに干魃や大地震といった大災害が頻発し、飢饉で民が疲弊しているところに今度は天然痘が大流行します。この時の天然痘の猛威は凄まじく「これほど多くの病死者が出たことは今までなかった」と記録されています。当時としては比較的生活環境のよい冠4位以上の貴族でも3割ほど死亡しているので、総人口における約4割ほどが亡くなったのではと推測されています。

 当時天変地異は為政者(この場合聖武天皇)の不徳が原因のひとつと考えられていたので聖武天皇はかなり肩身の狭い思いをしたことでしょう。しかも今度は天然痘で一族が次々と亡くなり政権の中枢から外れていた藤原氏一族の藤原広嗣が九州の太宰府で反乱を起こします。聖武は直ちに討伐軍を派遣しますが、その直後なぜか「思うところがあって・・・」と言い滋賀県から三重県にかけて旅に出かけてしまいます。現在にしてみれば「尖閣諸島が侵略され戦争状態に突入したのに時の総理大臣が「後は自衛隊に任せた」と言い外国へ外遊にでかけてしまった」ようなものです。反乱はまもなく鎮められますが、聖武天皇の旅はその後も約5年間に渡って続けられます。ただ旅に出るといっても相手は時の天皇ですから人や都そのものが移動する「遷都」が伴い
莫大な費用がかかります。しかも戦争の真っ最中です。あまりに理解に苦しむ行動ですが、この旅の途中で聖武は大阪の知識寺で新しい仏教に出会います。知識寺の教えは要約すると「老若男女、身分に関係なく仏教を通じて国民が手を携えれば国家は救われる」というもので、当時疫病、飢饉、大災害、反乱と数々の困難な現実に直面していた聖武天皇には相当響いたようです。旅から帰った聖武天皇は741年全国に国分寺を743年には大仏「盧舎那仏」の建立を命じます。この時聖武天皇が発した言葉は「天下の富を有するのは朕である。天下の権力を所有するのも朕である」というもので、かつての気弱だった聖武とは思えない自信に満ちた言葉でした。

 その後聖武天皇は仏教に傾倒し天皇としては史上初となる出家をしますが大仏完成の4年後56歳で波乱に満ちた生涯を閉じるのです。
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