鹿島神宮



参拝 時間
 境内自由(授与所及び祈祷受付 時間 8:30〜16:30。鹿島神宮宝物館 9:00〜16:00 現在休館中


入館料
 鹿島神宮宝物館 大人300円 中学生以下100円(中学生以下土日のみ無料)




鹿島神宮 鹿島神宮は創建が神武天皇元年(紀元前660年)と伝わる北関東に鎮座する古社です。
 その昔 初代天皇である神武天皇の東征時、熊野の地で窮地に陥った時に救ったのが、武甕雷神(たけみかずちのかみ)が国を平定した際に持っていた剣「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」です。神武天皇は大和の地を平定し橿原で初代天皇として即位した時に武甕雷神の御神恩に感謝して鹿島の地に鹿島神宮を建て武甕雷神を祀ったと伝えられています。
 なお布都御魂剣は奈良県にある石上神宮のご神体である三輪山に埋め納められたと伝わっており、現在鹿島神宮に納められている布都御魂剣は700年頃に作られた2代目の神の剣として位置づけられ、全長が約3メートルもある直刀は国宝に指定されています。
 このように鹿島神宮では日本神話を代表する武神である「武甕雷神(たけみかづちのかみ)」を祀っていることから鹿島アントラーズの選手達をはじめとした有名アスリート達も訪れ必勝を祈願する事でよく知られています。
 また日本において数多くの名家、人物を輩出し天皇家に次いで由緒正しき家柄である藤原氏。この藤原氏の氏神として信仰されたことでも知られ(藤原氏の祖である中臣鎌足は常陸国の出身であるという説があります)、藤原氏が鹿島神宮から勧請し春日大社を創建した際に白い神鹿の背に分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて出発し、1年かけて奈良まで行ったという言い伝えが現在奈良公園にいる鹿達の由来となっています。ちなみに鹿島アントラーズのアントラー(antler)とは英語で「鹿の角」を意味します。
 なお現在「神宮」と呼ばれる神社は伊勢神宮の他にこの鹿島神宮や香取神宮、明治神宮、熱田神宮、橿原神宮などがありますが、これは天皇や皇室と関わりの深い神様を祀る格式の高い神社の称号に用いられるものです。ちなみに幕末まで「神宮」と呼ばれていたのは、伊勢神宮、香取神宮、そして鹿島神宮の三社だけで、他は明治以降に創建、もしくは「神宮」と呼ばれるようになったものです。



※本ページに記載されている情報については変更されている場合もありますので、ご利用の際は必ず現地の表記をご確認ください。


公式HPhttp://kashimajingu.jp/



奥宮


鹿島神宮 奥宮 神宮の鎮座する広大な地は「三笠山(みかさやま)」と称され、国の史跡にも指定されています。この三笠山(「山といっても境内は平坦な地形となっています」)に広がる鹿島神宮の森の奧、本殿より奧には奥宮が鎮座しています。奥宮は1605年に徳川家康によって関ヶ原戦勝の御礼として現在の本殿の位置に奉納されたもので、14年後の1619年に2代将軍・秀忠が本殿を造営した際に現在の場所に移されました。奥宮には建御雷神の荒魂を祀っており、このことから参拝時には音を出して手を叩いではいけないとされています。


香取神宮との関係


 よく鹿島神宮と並び称される事の多い香取神宮。香取神宮の主祭神は鹿島神宮の主祭神である武甕雷神の弟神とされる経津主神で、春日大社や塩竃神社のように武甕雷神を祀る神社では一緒に祀られる事も多い神様です。
 さて鹿島神宮と香取神宮は利根川を挟んで相対する場所に鎮座しています。この地は水上交通が盛んだった古代において交通の要衝であったと共に蝦夷との争いの最前線であった為、朝廷は日本屈指の武神である武甕雷神と経津主神の兄弟神をそれぞれ鹿島神宮と香取神宮を鎮座させて二神が力を合わせて東方の守りとなるようにし、蝦夷攻略の拠点としたと推測されており、多くの神社は南向きに本殿を建てるのに対して鹿島神宮は北向きに建っているのも北の地の厄を抑えるため「北方に睨みを利かせている」のが理由と推測されています。
 また鹿島神宮には地震を引き起こす大鯰の頭を抑えているといわれる「要石」がありますが、香取神宮にも要石がありこちらは大鯰の尻尾を抑えているといわれています。
 なお鹿島神宮から香取神宮への行き方については別途「鹿島神宮へのアクセス」のページをご参照下さい。



東国三社

 利根川の水郷地帯に鎮座する鹿島神宮と香取神宮。この二宮に茨城県神栖市に鎮座する「息栖神社」を併せて東国三社と呼び、江戸時代にはお伊勢参りの後やお伊勢参りに行けなかった人々に、禊ぎの「下三宮巡り」として大変人気があったといわれ、現在もお参りする際には東国三社をセットで参拝するとよいとされています。なお余談となりますがこの三社は結ぶと二等辺三角形になるのだそうです(注:直角三角形という人もおります)。



息栖神社のご祭神
 久那戸神
 武甕雷神・経津主神による国内平定において、東国への先導にあたった神とされています。


 天鳥船神
 武甕雷神の国内平定の際、副使として赴いたとされる神。




御朱印


 鹿島神宮では御朱印所で、鹿島神宮と奥宮の2つの御朱印をいただくことができます。
 また鹿島神宮は常陸国の一の宮(意:その地方で一番格式が高い神社の事)であることから鹿島神宮オリジナルの御朱印帳の他に一の宮専用の御朱印帳(一の宮でしか授与することができません)も授与する事ができます。



鳥居


 鹿島神宮の鳥居は「鹿島鳥居」と呼ばれ額束(がくづか)が無く貫が柱を貫通している独特の形をしています。本項ではこの鹿島鳥居のうち特に有名な「一の鳥居」と「大鳥居」についてご紹介していきます。


一の鳥居

鹿島神宮 一の鳥居  鹿島神宮には「一の鳥居」が鹿島神宮から数キロ離れた東西南北に4基存在し、昔は、人々の交通の目印となっていたと伝わっています。これら一の鳥居は長い歴史の中で失われていきましたが、2013年に「西の一の鳥居」が2017年に「北の一の鳥居」が復元され東西南北全てがそろう事となりました。
 さてこの一の鳥居の中でもっとも有名なのが北浦と呼ばれる湖上にある「西の一の鳥居」です。この鳥居は高さ18.5m、幅22.5mの水上鳥居で水上交通が盛んだった古来には舟の目印になっていたものを再現したもので、鰐川に架かる国道51号線の橋上からも見ることができます。
 なお他の一の鳥居の場所は以下のとおりとなっています。

東の一の鳥居 鹿嶋市明石の海岸沿い

南の一の鳥居 神栖市息栖の息栖神社の鳥居

北の一の鳥居 鹿嶋市浜津賀の戸隠神社の鳥居




大鳥居

鹿島神宮 大鳥居  鹿島神宮の大鳥居は境内の西側。国道51号線から続く表参道を歩いてきた所にあります。
 以前の大鳥居は御影石の鳥居でしたが、東日本大震災の際に倒壊し、2014年に境内に自生する杉の巨木を用いて再建されました。
 また大鳥居をくぐってすぐの所にある鮮やかな朱塗りの楼門は水戸藩初代藩主「徳川頼房」が1634年に奉納したもので国の重要文化財に指定されており、日本三大楼門の1つにも数えられ(他2つは「筥崎宮」(福岡県福岡市)、「阿蘇神社」(熊本県阿蘇市))、扁額に書かれている文字は日露戦争の英雄である東郷平八郎の直筆です。



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