大内宿 高倉神社



 高倉神社は大内宿の通り沿いに建てられている古い鳥居の奥にある神社。御際神は以仁親王(もちひとしんのう)と愛馬の連銭葦毛。
 以仁親王とは高倉宮以仁親王のことで三条宮とも呼ばれ、後白河法皇(1179年、平清盛のクーデターにより幽閉され、翌年安徳天皇が即位した)の第三皇子、幼少の頃から多彩な才能に恵まれ、管弦・詩歌の道に優れ皇位継承者と目され、治承4年(1180年)4月、平家討伐を決意し、平家追討の「令旨(りょうじ)」を全国に雌伏する源氏に発したが翌年平氏に討たれた。なおこの平家追討の令旨がもとで源頼朝、木曽義仲等が挙兵し、平氏滅亡のきっかけをつくった。
 また高倉宮以仁親王については遺体の確認がはっきりとされなかった事から(一説には世の批判を恐れ平氏が皇子を討った事を隠したともいわれている)、実は生き延びて潜行したとの伝説が多数のこっており、下郷町の大内宿にも潜行伝説が伝わっています。


高倉神社本殿


高倉神社 本殿 高倉神社の本殿。平清盛に反旗をひるがえした高倉宮似仁王が祀られている。大内宿よりすこし道をわけいった鎮守の森の中に建てられている。夏は「半夏祭り」が催される社。





高倉神社一の鳥居


高倉神社一の鳥居 大内宿にある高倉神社への入り口。この鳥居は「一の鳥居」と呼ばれ大内宿の通りに面した所に建てられている。高倉神社そのものは大内宿より数百メートルほど奥の山の中にある。

高倉神社二の鳥居


高倉神社 二の鳥居 高倉神社の二の鳥居。大内宿の大通りより数百メートルほどのところにある。周りはのどかな田園風景が広がっている。高倉神社の本殿はこの山道を登ったところにある。

高倉神社の手水舎


高倉神社の小川 高倉神社の脇を流れる水路。手水舎(てみずや)の代わりだろうか、柄杓が竹に差しておかれている。大内宿周辺はとても水が豊かなところであちらこちらで水路が見られる。