長慶天皇御陵



長慶天皇 1343年〜1394年8月1日 南北朝時代の第98代、南朝第3代天皇。

 長慶天皇は南北朝時代の動乱期の天皇だということもあってその生涯については謎が多い天皇。一般的には対北朝強硬派の天皇で、南北朝の戦乱の中にその生涯を過ごし、足利幕府に対する応戦の為、大和吉野から、河内金剛寺、大和五條の栄山寺と転戦し、譲位した後は、各地の南朝方の武将を訪ね、南朝への協力を求めたと言い伝えられています。その為か「長慶天皇の墓」と称する陵墓も全国各地に点在し、 その数は陸奥国(青森県)、川上村(奈良県)など20ヶ所に及ぶとも言われています。
 天台寺がある南部地方は南北朝時代、南朝方の有力武将、南部氏が治めており言い伝え通りなら長慶天皇がこの地を訪れていてもなんら不思議はありません。


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天台寺 長慶天皇の墓


長慶天皇御墓 天台寺 天皇 八葉山にある長慶天皇御墓。八葉山の一番奥まった所にひっそりとたたずんでおり、天台寺本堂裏手の参道を歩いていると長慶天皇御墓の入り口が見えてきます。



天台寺 天皇 長慶天皇の墓。長慶天皇は動乱の南北朝時代の天皇でその御陵とされる史跡は全国に多数存在しており、天台寺の長慶天皇御陵もその一つです。



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