発心門王子
発心門王子は
熊野古道に数ある王子社の中でもっとも格式と知名度が高い王子社のひとつで、熊野本宮大社の神域の入り口でもあります。発心門王子から
熊野本宮大社に通じる古道は起伏も少なく歩行距離約7km、所要時間2時間と初心者にもおすすめのトレッキングコースとなっています。
なお発心門とは仏道に入る心を発する入り口(門)という意味で、昔の熊野詣での人はこの発心門王子の鳥居の前でお祓いをしてから鳥居をくぐっていたそうです。
中辺路 発心門王子〜熊野本宮ルート
バス停「発心門王子」→水呑王子→伏拝王子→三軒茶屋跡→祓所王子→熊野本宮大社→バス停「本宮大社前」
ルート案内地図→「
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発心門王子
熊野古道発心門王子。このすぐ近くにバス停があるので、発心門王子までバスできて熊野本宮まで歩き、熊野本宮からまたバスで戻ればよい。所要時間は2時間ほどなので帰りのバスの時間を計算して訪れれば時間のロスが少なくて済む。
熊野古道は他にもルートがあり距離も長いのだが発心門王子〜熊野本宮のルートは道中トイレや自動販売機、無人販売所などがありもっとも歩きやすいルートのひとつとなっています。
熊野古道
熊野古道の光景。
中辺路は初心者におすすめとはいえ、滑りやすい石畳の坂道などもあり、歩きやすい靴や着替え、日除け、飲料水、タオルなどの用意は必須。詳細は「
熊野古道の服装・装備」を参照。
藤原定家の碑
発心門王子境内にある「藤原定家」歌碑。藤原定家は後鳥羽上皇に使えた歌人で歌碑には「入りがたき み法の門は けふ過ぎぬ いまより六つの 道にかえすな」と刻まれており定家が発心門に至った心境が詠まれています。なお歌の意味は「仏法の門をくぐったからにはもう引き返さない」というもので、後鳥羽上皇の熊野御幸の際に先駆けの役(本隊より一足先に行き宿や食事の手配を行う役目)を務めた時の歌です。また定家は田辺において風邪気味なのにもかかわらず叱責され泣く泣く潮垢離(しおごり 聖地に入る前に海で身を清めること)をしたり、後鳥羽上皇の命により那智から本宮まで通常2日の行程を1日で踏破したさいには大雲取越付近で大雨に遭い「輿の中は海のごとくであった」と嘆いてみせたりと熊野詣ではなにかと不運なエピソードが多く残されています。
女性が参詣してもかまわない信仰の山
藤原定家が「仏法の門」と歌った発心門王子。中世における熊野詣の公式参詣路にあり、平安末期から鎌倉時代にかけて歴史上の有名人も数多く発心門王子を通りました。歴代上皇や
平清盛、前述の藤原定家のほか恋多き女流歌人として名をはせた和泉式部も詣でており、特に和泉式部は本宮直前で「月の障り」で不浄の身となってしまい参詣をあきらめていたところ、夢に熊野の神が現れ「差しつかえないから参拝せよ」とのお告げを下されています。そもそも女性の身で信仰の山に入れること自体当時としては珍しかったのに不浄の身でもかまわないという寛容さは全国に広まり、熊野信仰の人気の一因となったのです。