恐山 旅行記 「境内の光景」



恐山境内の光景 恐山の本堂をすぎてすぐ。「無間地獄」と呼ばれている所の光景。積まれた石に風車、至る所で吹き出る硫黄はまさに恐山を象徴する光景です。
恐山 結ばれた草 こちらは結ばれた草。延命地蔵尊周辺で見られた光景。お寺の関係者と思われる方が手際よく草を結んでいた。詳しい意味は分からないが、近くにいた人は死者の髪を結ってあげる意味があるのではないかと言っていました。




境内に積まれている石について 恐山の地蔵信仰

 
  恐山を象徴する光景のひとつに賽の河原に無数に積まれた石塔があります。これらの石は亡くなった幼い子供を弔うために両親が積んだものです。ではなぜ賽の河原で石を積むのでしょうか?それはこのような話に基づいているのです。
 幼くして亡くなった子供は父や母を不幸にしたという罪で地獄に落とされてしまいます。その罪を償うには、自分の背丈より高く石を積めば成仏できるといわれ、地獄に落ちた子供達は一生懸命に石を積むのです。なんとも痛ましく目頭が熱くなるお話ですがこの話には続きがあり、幼い子ども達が一生懸命に石を積んでいると地獄の鬼どもが現れ鉄棒で崩してしまいます。この為子ども達はいつまでたっても救われず苦しむのですが、そんな時に現れ地獄の鬼どもを追い払い子ども達を救ってくれるのが地蔵菩薩です。
 恐山のご本尊は「延命地蔵菩薩」ですので、この話に基づき地獄の賽の河原に見立てた境内に石を積み亡くなった子ども達を弔うという風習が根付いているようです。
 ちなみに恐山の賽の河原に積まれた石は、亡くなった者を弔うために遺族の方々がつんだものです。よく見ると名前が彫られた石もあります。間違っても崩したりいたずらなどしないようにして下さい。


恐山境内入り口


恐山境内入り口の光景 恐山境内入り口の光景(例大祭時の光景)。バス停と休憩所の他に警察官が常駐している案内施設がある。この他タクシー乗り場もあり観光客達は恐山の後どこに行こうか相談していました。

お食事処「蓮華庵」


恐山のお食事処 蓮華庵 恐山総門近くにあるお食事処「蓮華庵」。メニューは霊場らしく蕎麦やうどん、そうめんといったあまり脂っこくなくさっぱりしたものが多くみられ、個人的には注文したそうめんがとても美味しく感じられました。


蓮華庵のあんみつ

恐山 蓮華庵のあんみつ 恐山のお食事処である蓮華庵はイメージ的にはお食事処というより甘味処といった感じで(筆者の個人的な感想です)蜜豆が美味しかったです。また建物前ではヨモギアイスクリームも販売されていました。


恐山 休憩所


恐山の休憩所 恐山境内にある休憩所。広い畳敷きの部屋で誰でも自由に休憩することができる。たまに団体客の皆さんがここで弁当を食べていることもあります。


恐山の黄金伝説


 江戸時代前期に書かれた「東北太平記」。これは康正年間(1456−57)下北半島を中心に発生した蠣崎の乱を元にした「物語」です。おおまかな内容としては大塔宮護良親王(後醍醐天皇の皇子で足利尊氏との政権争いに敗れ流刑先の鎌倉で謀殺されます)の遺児を先祖に持つ義純は南部氏庇護のもと下北半島で北部王家と称し南朝の復興を志していましたが、重臣の蠣崎蔵人の謀反にあい謀殺されてしまいます。蠣崎蔵人はアイヌや韃靼人(モンゴル人)、紅毛人(ロシア人)の援軍をへて見たこともないような海外の新兵器も駆使し南部家の領地へ侵攻しますが、海を迂回して攻め込んだ南部軍に敗北し蠣崎蔵人は蝦夷地に逃亡し後に明治維新まで続く戦国大名「蠣崎氏」の祖をなるというものです。
 この半分は本当の事が書かれた物語では、作物が満足に育たないいわば石高ゼロの下北半島で北部王家や蠣崎氏が大国である南部家に匹敵する力を持つことができたのは下北半島各地で産出する金銀のおかげであると記されており、当時は毎日4万両相当の金銀が蔵に運び込まれたといわれています。この東北太平記をはじめとして下北半島には黄金伝説がまことしやかに語り継がれていたのですが、平成2年にとうとう科学のメスが入れられることとなりました。そして地質調査の結果は「恐山の周辺には品質・埋蔵量ともに世界最高水準の金鉱脈がある」という驚くべきものでした。
 ただし恐山一帯は国定公園に指定されているうえ、地元の方々から信仰を集めている霊場です。さらに周辺地盤は火山性ガスに由来する有毒ガスが充満しており、現実的に金を採掘するのは不可能といわれています。