津軽半島 旅行記 「亀ヶ岡遺跡」



 亀ヶ岡遺跡は遮光器土偶(亀ヶ岡式土器)で有名な縄文時代晩期の遺跡です。まるでゴーグルを装着した宇宙人のような姿をした遮光器土偶は誰でも一度はテレビや雑誌で見たことがあるのではないでしょうか。この亀ヶ岡遺跡周辺は昔から多くの土器や土偶が出土する所として知られており、地名も瓶(かめ)がたくさん出土したことに由来しています。また江戸時代、遺跡の出土品は「亀ヶ岡物」と呼ばれ多くの文人や裕福な人に親しまれ、遠くオランダまで渡来していたことがわかっています。
 なお亀ヶ岡遺跡周辺は広大な湿地帯となっており、また大半が私有地であることから明治と昭和に大規模な発掘調査が行われた後は期間未調査の状態となっており(試掘程度の調査は数回行われている)。今後の発掘調査が期待されています。


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遮光器土偶(亀ヶ岡式土器)


遮光器土偶  亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶(亀ヶ岡式土器)。その特異な形から宇宙人がモデルではないかとも言われていますが正確な事は分かっていません。この遮光器土偶は現在東京の国立博物館で保管されています。


亀ヶ岡石器遺跡とモニュメント 亀ヶ岡石器時代遺跡のモニュメント。この白亜のモニュメントは亀ヶ岡遺跡の発掘現場に建てられているもの。かなり大きなモニュメントですが実際の遮光器土偶は高さ34cmほどのお人形サイズとなっています。




つがる市縄文館


つがる市縄文館 つがる市縄文館は亀ヶ岡遺跡の発掘現場にほど近い場所に建てられてた出土品の展示館。有名な遮光器土偶は写真やレプリカでしか見られませんが、その他芸術品ともいえる数々の土器が展示されています。

つがる市縄文館 館内の光景 つがる市縄文館館内の光景。亀ヶ岡遺跡で発掘された出土品の展示、保存をしています。つがる市ではこの他、木造駅の近くに縄文住居展示資料館カルコがあります。

亀ヶ岡文化


これを知っていれば亀ヶ岡遺跡の旅もより一層楽しくなる・・・・かも


 三内丸山遺跡に代表されるように縄文文化は東北地方の文化というイメージがありますが、正確には日本全国で花開いた文化です。そして縄文文化が著しく発展したのが東北地方というわけです。では何故東北地方で縄文文化が発展したのでしょうか?それは当時地球は温暖化傾向にあり東北地方は現代とは異なり比較的温暖で自然の恵み豊かな土地となっていたことや西日本の縄文文明が鬼界カルデラの噴火により一度断絶してしまったことなどが考えられています。これは植物の花粉調査や貝塚から出土した魚類を調査した結果からも裏付けられています。東北の縄文集落の規模がピークに達したのも温暖化がピークを迎えた縄文時代前期から中期にかけてです。その後寒冷化が進み縄文人達もある者は東北の地に残り、またある者は温かい南へと旅だち衰退していきます(三内丸山遺跡から縄文人がいなくなった時期も寒冷化の時期と一致しています)。
 そんな東北地方における縄文文化が下り坂となる縄文時代晩期に栄えたのが「亀ヶ岡遺跡」です。亀ヶ岡遺跡では遮光器土偶に代表されるような高度な土器作製技術や漆塗りの技術が確認され、その円熟した文化レベルは大陸の彩陶文明(中国 黄河文明のひとつ)に匹敵するといわれています。このような高度な文化は一夜にして突然出現する訳などなく、おそらく寒冷化以降も東北の地で生活を続けた縄文人達の文化が集約された結果であろうと推測されています。つまり亀ヶ岡遺跡は約1万年もの歳月をかけて発展してきた東北地方の縄文文化の集大成ともいえる遺跡なのです。また稲作をはじめとする弥生文化初期の特徴も見られ縄文時代から弥生時代へ変遷する激動の時代を駆け抜けた遺跡なのです。

 亀ヶ岡遺跡の特徴のひとつである遮光器土偶(亀ヶ岡式土器)はその容貌から宇宙人をモチーフにしているのではないかとまで言われていますが、宇宙人説は一旦おいておきその特徴としては名前の由来となった遮光器のような目、女性の特徴を表しているとされている大きな臀部、太もも、胸があります。実はこの遮光器土偶が出土したのは亀ヶ岡遺跡だけではなく、ほぼ同じ形をしたものが青森県の東部や岩手県の盛岡市、宮城県でも見つかっています。いずれも縄文時代晩期の遺跡で、調査の結果、遮光器土偶は縄文時代としては異例の早さで出現し消えていったことが判明しています。これらの事実は何を物語っているのでしょうか?亀ヶ岡遺跡と交流のあった集落に伝わったものなのか、それとも縄文人が南へ移動していく過程で伝播していったのか詳しいことはわかっていません。
 謎の多い亀ヶ岡遺跡は江戸時代多くの盗掘被害にあったうえに、現在は私有地であることから本格的な調査ができない状態にあります。亀ヶ岡遺跡の発掘調査が本格的に進み新たな事実が判明したとき、日本の考古学の歴史に新たな1ページが追加されるかもしれません。