黒石市 中町 こみせ通り

 黒石市のこみせ通りは藩政時代から昭和中頃までは黒石市の中心街だった場所。昔の町並みが残っているといえばそれっきりですが、長年町の中心部だったことだけあってこみせ通りやその周辺には歴史ある醸造元や造り酒屋、老舗の料理屋等探せば旅行雑誌等には載ってないような隠れ名店が意外と多く(現在は知名度も上がり大分知られるようになりました)、黒石市のご当地グルメ「つゆ焼きそば」を提供してくれる店も多数あり、黒石ねぷた祭り開催時は運行コースのメインストリートにもなります。また黒石市は明治時代の紀行家「イザベラ・バード」が東京から北海道まで約3ヶ月間の旅をした際にもっとも気に入った場所で、体調不良や災害、悪天候等の理由がない限りは原則1泊しかしない旅の道中、黒石市のこみせ通りには3〜5日間滞在し(正確な日数は分かっていません)、郊外の中野地区に小旅行に出かけたり、夏祭りを見学したりし紀行記のなかでも最大級の賛辞を記しています。
 津軽路を旅するときふと立ち寄ってみると意外な発見がある。黒石こみせ通りはそんな所なのです。

駐車場
 駐車場は数ヶ所ありますが少々分かりにくく初めて車で訪れる方は駐車場所に困る場合が多いのですが、一番分かりやすいのは旧国道の通りにある(こみせ通りの南側)市役所の駐車場となっています。

地図で場所を確認する

こみせ通りの光景


木造アーケード

黒石市 こみせ通り 黒石市のこみせ通りは黒石藩政時代から残る古い町並みで、冬の吹雪や夏の暑さを防ぐため木造のアーケードが設置されている「日本の道百選」にも選ばれている通りです。





冬の光景

黒石市 こみせ通り冬の光景 こみせ通り、冬の光景。黒石市は雪国青森県でも特に積雪量が多い地域。その雪から商店街を守るために、こみせ通りが形成されたといわれています。

こみせ駅

黒石市 こみせ通りのこみせ駅 黒石市のこみせ通りにある「こみせ駅」。旧家を改築した駅内は物産店のようになっており、津軽三味線ライブや黒石つゆ焼きそばの提供もしています。なお駅前に見えるバス停は現役のバス停。

かくじ広場

 
黒石こみせ通りのかぐじ広場 こみせ通りから横道にそれた所にあるかくじ広場。観光用にこみせ通りを模して整備された通りの奥に黒石市の先人達を記念した石碑が建っています。この通りにはカフェや焼鳥屋、観光案内所等が設けられています。


高橋家


黒石市 こみせ通り 高橋家 こみせ通りの高橋家。国指定の重要文化財に指定されている。こみせ通りには他にも昔ながらの造り酒屋や蔵、時間どきには行列ができるほど人気の和風レストラン等があります。



つゆ焼きそばの店


こみせ通り つゆ焼きそばの店 黒石名物「つゆ焼きそば」を提供している「すずのや」。こみせ通りの入り口にあり、お昼近くになると焼きそばとラーメンスープの香ばしい匂いが辺り一面にただよってきます。


イザベラ・バード


 イザベラバードは明治時代の紀行家で、明治11年に当時46才であったバードは親子ほども年の離れた日本人の若者「イトー」を通訳兼従者として従え東京から会津、新潟、山形、秋田、青森、北海道と約3ヶ月間の旅をしています。道中の様々なトラブルと遭遇する様子を記した紀行文は、イギリス人であるイザベラバードの目から見た当時の日本の様子がありありと描かれた、貴重な資料として今に伝わっています。なお黒石市には8月3日から数日間滞在し(正確な日数は不明)、当時混浴だった温湯温泉を覗き見(入浴はしてないようです)したり、中野神社の滝や杉林を絶賛し、また現在のねぶた祭りの性格をもった「ねぶり流し(イザベラバードは七夕祭りと記している)」を見て」これほど完璧なお伽話シーンのようなものは、見たことがない」と大感激しています。なおイザベラバードが宿泊したところはこみせ通りの一画であることは間違いないと推測されていますが、どの宿だったのか正確なところは分かっていません。


イザベラバードが旅の途中で遭遇した主なエピソード(注:黒石市でのエピソードではありません)
1.大雨に遭遇し、髪の毛がバラバラになった外国人のバードを見て、村の子供達が馬に乗った大猿と勘違いしてパニックになってしまった。

2.珍しい異人を一目見ようと2,000人もの村人が集まるなか、バッグから望遠鏡を取り出したバードを見て村人達はピストルを構えたと勘違いし大混乱になってしまった。

3.交通の難所であった秋田県の二ツ井町を流れる米代川を村人が止めるのも聞かず舟で渡る。この際、反対側から来た屋形舟は濁流に呑み込まれ、その屋形舟がバードの乗った舟に衝突しそうになり九死に一生を得る。

4.衛生状態が悪く村人の多くが眼病や皮膚病に悩まされる村で、薬を渡したことから医者と勘違いされ、多くの患者が宿を訪れる。このときバードは薬の持ち合わせが無いことや自分が医者でないことを理由に丁重に断り、予防方法を教え村を後にしている。

5.警察官の計らいで村の葬儀を見学している。この時は未亡人が化粧をし極めて綺麗であることから、日本の未亡人は花嫁のように見えたと紀行文にしるしている。